大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所 昭和45年(つ)1号 決定 1972年9月29日

被疑者 北折篤信 ほか

目  次

請求人の表示

前文

主文

理由

第一、本件請求被疑事実の要旨並びに請求の趣旨

一、本件請求被疑事実

二、請求の趣旨

第二、本件請求の適法性についての判断

一、不起訴処分並びに本件請求の各手続の概要

二、不適法な請求人の範囲

三、不適法な被疑事実の範囲

四、適法な請求の範囲

第三、審理の経過

第四、本件発生に至るまでの概要

一、本件の背景

二、反代々木系全学連を中心とする学生らの動向

三、警備を担当した警察官側の対策準備

第五、本件各当日の状況

一、昭和四三年一月一七日平瀬橋付近の状況

二、同月一八日佐世保橋付近の状況

三、同月一九日佐世保橋付近の状況

四、同月二一日佐世保橋付近の状況

第六、「いわゆる過剰警備発生」に対する判断

一、阻止線の設定行為の適法性

二、催涙ガス及び警棒使用の適法性

1、実力による制止行為の根拠

2、催涙ガス使用の適法性

3、警棒使用の適法性

第七、「警察官による直撃行為」等に対する判断

第八、「警察官による毒物放射」に対する判断

第九、結論

(備考) 添付書類

一、請求人名簿 (略)

二、被疑者名簿 (略)

三、人影図三葉 (略)

四、警備要員心得五則 (略)

五、受傷者数原因一覧表 (略)

六、現場見取図一葉(一月一七日平瀬橋付近の状況)  (略)

同    一葉(一月一八日佐世保橋付近の状況) (略)

同    一葉(一月一九日佐世保橋付近の状況) (略)

同    一葉(一月二一日佐世保橋付近の状況) (略)

七、受傷者証拠一覧表 (略)

八、裁判所に対する供述書提出者一覧表 (略)

決  定

請求人 別紙請求人名簿(略)記載の五三名

右の者らから別紙被疑者名簿(略)記載の者らを被疑者とする刑事訴訟法第二六二条第一項の請求があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件各請求はいずれもこれを棄却する。

理由

第一、本件請求被疑事実の要旨並びに請求の趣旨

一、本件請求被疑事実

1、いわゆる過剰警備の発生

昭和四三年一月一七日より同月二一日にかけて、連日、全日本学生自治会総連合に所属する多数の学生並びにその他の労働組合員は、アメリカ合衆国(以下「米国」と略称する。)海軍原子力航空母艦エンタープライズ号(以下「エンタープライズ号」と略称する。)を中心とする艦艇が米国よりベトナムへ派遣される途中、補給と休養を名目として、長崎県佐世保市所在佐世保港に寄港することに反対しこれに抗議するため、同市所在の米国軍佐世保基地を中心として、同市中に示威行進を繰り返した。

ところが、長崎県警察原空寄港警備本部長被疑者北折篤信を最高責任者とし、同本部小佐々連隊長被疑者小佐々繁・同西田連隊長被疑者西田宣治・同池村連隊長被疑者池村清市を各現場指揮者とする総数約五、四〇〇名の警官隊は、右学生らの行動に関し警備活動に従事中、右学生らの通行行進を阻止する何らの理由もないのに道路交通法違反名下に、同月一七日には佐世保市平瀬町無番地平瀬橋付近において、同月一八日・一九日・二一日にはそれぞれ同町無番地佐世保橋付近において、それぞれ右学生らの通行行進を阻止したため、右各橋付近において学生らと接触衝突するに至つた。

右学生らと警察部隊との接触の際、被疑者らは警察官職務執行法に定められた制止行為の範囲を逸脱し、合理的な限度を超えて実力を行使し、ほしいままに警棒、催涙ガス等の武器を使用し、もつて抵抗力を失つた学生ら並びに本件衝突に直接関係のない労働組合員・市民・新聞記者らに対し、暴行陵虐の限りを加え重大なる傷害を負わせたものである。

2、警察官による直撃行為

(一) 氏名不詳の警察官ら五・六名は、最高責任者たる被疑者北折篤信及び現場指揮者たる直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体して、共謀のうえ、前記一月一七日午前一一時四五分頃、前記平瀬橋傍ら佐世保市民病院前において、国立岡山大学女子学生杉直美を包囲し、警棒で同女の頭部を乱打し、そのために同女が転倒するや、被疑者らは同女の腹部など全身を蹴り或は殴打するなどして、同女に対し、治療一月半を要する頭部挫創、全身打撲、左腹部、左背中部打撲等の傷害を負わせた。

(二) 氏名不詳の警察官一名は、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体して共謀のうえ、同日午前一一時頃前記平瀬橋鉄橋上において、国立広島大学々生中桐正百を公務執行妨害罪名下に逮捕し、同人の両手に手錠を掛けてその抵抗を失わしめた後、同人を右鉄橋の有刺鉄線上を曳きずつて連行し、同人に対し治療相当日数を要する脚脛部裂傷を負わせた。

(三) 氏名不詳の警察官七・八名の者らは、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体して共謀のうえ、同日午前一一時四五分頃、前記市民病院玄関前において、朝日新聞記者岩垂弘に対し、同人が「朝日新聞」の文字の入つた黄色い腕章をつかみながら、「新聞記者だ」と叫び続けたにもかかわらずこれを無視し、警棒をもつて狂気の如く同人の頭部を乱打し、あまつさえ恐怖のあまり右加害者らの股をくぐつて逃げようとした同人の背中に対し、更に警棒で一撃を加え、足蹴にするなどの暴行陵虐に及び、同人に対し治療一〇日以上を要する頭頂部挫創、右頭部挫創、鼻下部挫創、右手甲打撲、右手人さし指挫創、右脚脛打撲傷を負わせた。

(四) 氏名不詳の警察官四名(別紙(略)人影図第一に○印のある者ら)は、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体し共謀のうえ、同年一月一七日午前一一時頃前記平瀬橋付近において、地面に倒れ全く抵抗力を失つた氏名不詳の学生(A)(別紙(略)人影図第一に×印のある者)に対し、警棒をもつて全身を乱打するなどの暴行を加えた。

(五) 氏名不詳の警察官六名(別紙(略)人影図第二に○印のある者ら)は、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体し共謀のうえ、前記同日時頃前記平瀬橋付近において、溝にうずくまつて頭を抱えている氏名不詳の学生(B)(別紙(略)人影図第二に×印のある者)に対し、普通警棒或は特別製竹刀警棒をもつて同人の頭部或は背中等全身を滅多打ちに殴打する暴行を加えた。

(六) 氏名不詳の警察官四名(別紙(略)人影図第三の○印のある者ら)は、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体し、共謀のうえ、前同日時頃前記市民病院前において、ヘルメツトを被らず頭をかかえて地面に倒れている氏名不詳学生(C)(別紙(略)人影図第三に×印のある者)に対し、同人が抵抗力を失つていることが明らかであるにもかかわらず警棒で同人の左背中などを乱打するなどの暴行を加えた。

(七) 氏名不詳の警察官四名の者は、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体し共謀のうえ、前同日時頃前記平瀬橋付近でヘルメツトを被らず頭を抱えて地面にうずくまる氏名不詳の学生(D)に対し、同人が抵抗しないことが明らかであるにかかわらず警棒で殴り、或は突く等の暴行を加えた。

(八) 氏名不詳の警察官一名の者は、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体し共謀のうえ、昭和四三年一月一八日前記佐世保橋付近において国立岡山大学々生田中末男(当時一九才)が右佐世保橋において、公務執行妨害罪名下に逮捕され警察官二名に両手をとられて連行される途中、同人の正面から駆け抜けざまに同人の局部を膝頭で蹴り上げ同人に対し治療約二〇日間を要する陰のう部打撲の傷害を負わせた。

(九) 氏名不詳の警察官一名は、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体し共謀のうえ、同月二一日前記佐世保橋付近において素手でスクラムを組んでいた学生比嘉某の後方より同人にとびかかつて同人着用のヘルメツトを剥ぎ取つたうえ、同人が右手甲で後頭部を覆い警棒による打撲を防ごうとしたのに対し、警棒で右手甲の上から後頭部に強打を加え、同人に対し治療一ヶ月半を要する第二、第三手骨々折の傷害を負わせた。

(一〇) 氏名不詳の警察官一〇数名の者は、被疑者北折篤信及び直属連隊長被疑者氏名不詳の者の意を体し共謀のうえ、同日前記佐世保基地側付近において、折から許可されたデモコースである右橋上を行進して来た全電通労組員に対し、誰彼の見境なく警棒をもつて乱打し、同労組員佐世保分会員松尾文夫に対し全治四週間を要する右手頸骨亀裂の傷害を負わせ、同分会員野口亨利に対し全治約一ヶ月を要する上唇挫創、前歯骨々折(九本)の傷害を負わせた。

3、警察官による毒物放射

(一) 被疑者北折篤信並びに現場指揮者である被疑者小佐々繁ほか後記日時平瀬橋並びに佐世保橋警備にかかる各連隊長は、被疑者警察庁警備局長川島広守の指導のもとに共謀のうえ、前記同月一七日午前一〇時頃より約一時間にわたり前記平瀬橋付近において毒性の強い塩化アセトフエノン並びに四塩化エチレンより成る催涙ガスをガス弾として発射し、早稲田大学々生水谷保孝の首筋、両足頸、右手頸に命中破裂せしめ、更に同月二一日午後四時頃前記佐世保橋上において右催涙ガス原液を佐世保川の河水に混入し放水し、右水谷の全身に浴びせ、右催涙液入り放水により同人に対し全治一ヶ月以上を要する顔面及び全身に急性皮膚炎の傷害を負わせた。

(二) 被疑者北折篤信及び後記日時場所にかかる各連隊長は、被疑者川島広守の指導のもとに共謀のうえ、同月一七日前記平瀬橋において前記の如き放水により学生田中末男に対し治療二〇日間を要する左足皮膚炎、両足背潰瘍の傷害を負わせ、国立九州大学々生江藤靖夫に対し治療約二週間以上を要する両脚脛潰瘍の傷害を負わせた。

(三) 被疑者北折篤信及び後記日時佐世保橋警備にかかる各連隊長は被疑者川島広守の指導のもとに共謀のうえ、前記同月二一日午後二時頃前記佐世保橋付近において、近距離より学生らに対し前記催涙液入り放水を行なつたため、氏名不詳の学生に対し治療一ヶ月以上を要する両前房(目の玉のレンズの前の部分)出血、両眼瞼裂傷の傷害を負わせた。

(四) 被疑者北折篤信及び後記日時佐世保橋警備にかかる各連隊長は、被疑者川島広守の指導のもとに共謀のうえ、前記日時頃前記佐世保橋において許可されたデモコースを行進して来た労組員に対し前記催涙液入り放水を浴びせ、西鉄労組福岡分会員結城勉に対し、治療一ヶ月以上を要する全身、殊に臀部に熱傷性皮膚炎の傷害を負わせ、全電通労組田主丸分会員牧原正己に対し、治療約五日以上を要する左下腿部薬物性皮膚炎の傷害を負わせた

ものである。

二、請求の趣旨

被疑者らの前示被疑事実中、2の(一)乃至(三)、(八)乃至(一〇)、及び3の(一)乃至(四)に掲記した特別公務員暴行陵虐致傷の各所為につき、刑法第一九六条、第一九五条、第二〇四条に、同2の(四)乃至(七)に掲記した特別公務員暴行陵虐の各所為につき、刑法第一九五条にそれぞれ該当するとして、昭和四三年三月一六日長崎地方検察庁検察官に告発したところ、同庁検察官は右被疑事実全部につき被疑者らをいずれも不起訴処分にしたが、検察官の右処分は不当であるから刑事訴訟法第二六二条第一項に則り本件各被疑事実を裁判所の審判に付することを請求する。

第二、本件請求の適法性についての判断

一、不起訴処分並びに本件請求の各手続の概要

長崎地方検察庁検察官より送付を受けた記録全三冊(以下検察官送付記録と略称する。)及び同記録に編綴されている本件告発書、同不起訴裁定書、同付審判請求書によれば、長崎地方検察庁検察官は、前示被疑事実中、2の(三)の事実につき、昭和四三年八月二日告発にかかる被告発人北折篤信・氏名不詳の警察官七、八名及び氏名不詳の直属連隊長らを不起訴処分に付し、八月三日水口宏三外四名のいわゆる代表告発人に対し、普通郵便をもつて、右不起訴処分の通知を発し、その余の被疑事実につき、昭和四四年一二月二四日請求人らが告発した各被告発人らを全員不起訴処分に付し、告発人全員に対し、同じく普通郵便をもつて右不起訴処分の通知を発したところ、昭和四五年一月七日頃右通知を受けた告発人らは同処分を不服としてその余の請求人と共に同年一月一三日本件付審判請求書を長崎地方検察庁検察官に提出して本件請求に及んだことが明らかである。

二、不適法な請求人の範囲

(一)  刑事訴訟法第二六二条、刑事訴訟規則第六〇条によれば、付審判請求は刑法第一九五条、第一九六条等の罪について告発した者が検察官の不起訴処分に不服があるときに、その検察官所属の検察庁の所在地を管轄する地方裁判所に請求人の署名押印か少くとも記名押印のある付審判請求書を同処分の通知を受けた日から七日以内に、公訴を提起しない旨の処分をした検察官に提出してこれをすることができるのであるが、記録に編綴された本件付審判請求書によると、別紙請求人名簿(略)記載の水口宏三、日本社会党弾圧対策委員長亀田得治、井岡大治、阿部国人、矢動丸広、斉藤浩二、参議院議員亀田得治の七名の請求人を除くその余の四六名の請求人については、単に印字された記名があるのみで押印がないこと明白である。そうだとすれば、右印字のみで表示された請求人らが本件請求をしたものであるかどうか確定することができず結局これは刑事訴訟規則第六〇条の規定に反したことになり、これらをもつて適法な請求人と認めることはできないこととなる。

なお、前示本件付審判請求書には、請求人中、水口宏三、亀田得治、井岡大治、阿部国人、矢動丸広の請求人氏名の各肩書に、いずれも「代表請求者」の記載があり且つその「代表請求人」らの各印影で付審判請求書の訂正印及び各葉の契印がなされていることが明らかであつて、これによれば、これらの「代表請求者」請求人が他の各請求人らを代理しているかのように見えるのでこの点について考えると、前示検察官送付記録を精査しても右の所謂各「代表請求者」請求人に他の請求人らを代理する権限があつたことを認めるに足る資料はない。そうだとすると前示「代表請求者」は、いずれも他の請求人を代理していないものと認めなければならない。

以上いずれの点からも本件請求人中、前示水口宏三、亀田得治、井岡大治、阿部国人、矢動丸広、斉藤浩二を除くその余の各請求人四六名の本件請求は形式においていずれも不適法なものといわなければならない。

(二)  前示本件付審判請求書によれば、その請求人欄に、「日本社会党弾圧対策委員長請求者亀田得治」と又「参議院議員亀田得治」との二個の記名押印をなして請求人亀田得治が付審判請求をなしていること明らかである。そこで検察官送付記録を精査するけれども、亀田得治において日本社会党等より代理権を授与されたとみられる資料はない。そうだとすると本人から代理人への代理権授与を証明する資料がない以上、これを有効な代理による訴訟行為として認めることはできないこととなるから、単に右の如き表示が存するとの一事によつて請求人亀田得治の本件請求が日本社会党等を代理する請求であるとは到底認めることができず、右表示は単なる肩書と理解すべき性質のものといわなければならない。

そうであるならば、請求人亀田得治の一方の請求は重複したものであるということになる。

三、不適法な被疑事実の範囲

(一)  刑事訴訟法第二六二条第二項によれば、同法第一項の請求は不起訴処分の通知を受けた日から七日以内に、請求書を公訴を提起しない旨の処分をした検察官に差出してこれをしなければならない旨定めていること前述のとおりであるが、これを前示被疑事実2の(三)についてみれば、検察官送付記録によると長崎地方検察庁検察官が水口宏三・猪股浩三・井岡大治・阿部国人・矢動丸広ら五名の代表告発人に対し、当該不起訴処分の通知を発した日が、前示第二の一のように昭和四三年八月三日であること、右代表告発人中、阿部国人・矢動丸広らが、そのころいずれも右不起訴処分通知を受けたこと等の事実がそれぞれ認められる。右事実から考えると、右不起訴処分の通知はそのころその他の三名の代表告発人にも送達されたものと認められ、右送達日から七日を超えて一年有余を経過し、昭和四五年一月一三日に至り提起された請求人水口宏三・同井岡大治・同阿部国人・同矢動丸広の本請求部分は法定期間を徒過した請求権消滅後の請求であるから不適法であり棄却を免れない。

しかしながら、検察官送付記録によれば、長崎地方検察庁検察官が、請求人亀田得治・同斉藤浩二の両名に対し、前示2の(三)の告発事実に対する不起訴処分の通知を発した形跡がないから両名については前示期間の徒過も問題とならず、右両名の同被疑事実に関する付審判請求は適法であるといわなければならない。

四、適法な請求の範囲

以上の次第で、本件請求は、前示被疑事実中2の(三)の事実については、請求人亀田得治・同斉藤浩二の両名との関係で適法であり、その余の被疑事実については、右両名及び請求人水口宏三・同井岡大治・阿部国人・矢動丸広との関係で適法であると認められるので、以下右付審判請求の各事実についてその理由があるか否か検討することとする。

第三、審理の経過

一、長崎地方検察庁検察官より送付を受けた資料の検討

当裁判所は、長崎地方検察庁検察官より刑事訴訟規則第一七一条に則り記録全三冊の送付を受けた外長崎地方裁判所佐世保支部に係属中の被告人川上満夫外一六名に対する兇器準備集合等被告事件の起訴前作成された捜査記録中、長崎地方検察庁に保管されていた供述調書三一六通・報告書三七五通の送付嘱託をなしてその送付を受け、これを領置し、その各謄本を作成したうえそれぞれ検討した。

二、長崎地方裁判所佐世保支部から取寄せた資料の検討

長崎地方裁判所佐世保支部から同支部係属中の被告人川上満夫外一六名に対する前記被告事件の記録中、実況見分調書六冊を取り寄せ、その謄本を作成したうえ、これらを検討した外第三五回・同三八回各公判調書中の証人松尾寿郎の供述調書の抄本(二通)を取り寄せ検討した。

三、長崎県警察本部から取り寄せた資料の検討

当裁判所は同警察本部より

(一)  「学生等の事前動向関係資料」(当時発刊された各新聞紙の切抜きを電子複写機によつて複写し抄本としたもの)

(二)  「事前対策関係資料について」(警備方針・指揮官の留意事項・警備要員心得五則・引込線の舗装および歩道敷石の撤去状況((新聞記事切抜き抄本))・平瀬橋佐世保橋の転落防止柵の状況((同右及び写真三枚))を含む。)

(三)  「原空母佐世保事件における学生の動向について」(現場写真一二八枚及び当時の各新聞紙の記事を電子複写機によつて複写し抄本としたもの)

(四)  「実況見分調書添付の図面および写真について」(図面計二三葉及び写真二〇七枚)

(五)  「写真の集録について」(添付の写真二四枚)

と題する各書面を取り寄せ検討した。

四、関係家庭裁判所より少年保護事件記録(調査記録を除く)の取り寄せ検討

長崎家庭裁判所佐世保支部・大阪家庭裁判所・京都家庭裁判所・福岡家庭裁判所等より、いわゆる佐世保事件に関する少年保護事件記録(いわゆる法律記録)計五冊を取り寄せ検討した。

五、長崎地方法務局より人権擁護記録の取り寄せ検討

長崎地方法務局から「被害者反日共系三派全学連学生、相手方長崎県警察本部長、件名警察機動隊による排除行為の行過ぎ」と題する人権侵犯事件記録全七冊を取り寄せ検討。

六、東京地方裁判所及び福岡地方裁判所より取り寄せた資料の検討

当裁判所は東京地方裁判所より取り寄せた判決謄本四通・公判調書抄本六通及び福岡地方裁判所より取り寄せた決定書謄本一通を各検討した。

七、当時本件に関し救急活動に従事した佐世保消防署職員より供述書の提出を受けこれを検討した。

当裁判所は、昭和四三年一月一七日より二一日までの間に、平瀬橋あるいは佐世保橋付近において、警備警察官及びデモ隊員の各行動を目撃していたと思われる当時の佐世保消防署職員一八一名に裁判所に対する供述書の提出を求めたところ、右職員中から供述書一六二通の提出があつたのでこれを検討しそのうち必要と思われる者を証人として尋問した。

八、地方公務員災害補償基金各都府県支部より、災害補償認定請求書・同添付書類の診断書及び災害現認報告書類等の取り寄せ検討

地方公務員災害補償基金長崎県支部長・同福岡県支部長・同熊本県支部長・同佐賀県支部長・同宮崎県支部長・同大分県支部長・同鹿児島県支部長・同兵庫県支部長・同広島県支部長・同山口県支部長・同大阪府支部長・同京都府支部長・同東京都支部長に対し、昭和四三年一月一七日から同月二一日までの間に本件に関し、負傷した者から公傷認定の請求があり、且つこれを受理して認定された者らの標記認定請求書、診断書、現認報告書類各謄本の送付を依頼して取り寄せたうえ、これら認定請求書謄本三七三通・診断書謄本四一一通・災害現認報告書類謄本三八一通を各検討した。

九、長崎県佐世保市の医師・医院・病院(公私立を含む)より、診療録の謄本又は診断書等を取り寄せ検討

当裁判所は佐世保市に開業する佐世保市医師会所属のすべての医師・医院・病院計二六四個所に対し、本事件に際し負傷した警察官・学生・新聞記者・一般人等を診断治療したことがあるかどうか、あるとすればその総べての者に付、それらにつきその際作成された診療録の謄本・抄本並びに同抄本に代わる医師作成の一覧表及び診断書等の任意提出をされたい旨照会したところ、診断治療をした共済病院、佐世保市立市民病院、佐世保同仁会病院、白十字会佐世保中央病院等からこれらの提出を受けたので、これを各検討した。

一〇、裁判所又は受命裁判官による被疑者の取調べ。

1、被疑者特定のための調査

(一) 検察官送付記録の検討により付審判請求書で指摘する氏名不詳等不明確な次の被疑者が判明特定した。

(1) 本件において、現場指揮者たる直属連隊長は、

主に平瀬橋周辺等の警備のため配置された連隊の指揮を担当した連隊長小佐々繁(別紙被疑者名簿(三)(略)記載)、佐世保橋周辺等の警備のために配置された連隊の指揮を担当した連隊長西田宣治(同名簿(四)(略)記載)の外に、名切地区米軍住宅地帯、いわゆる上陸場付近等の警備のために配置された連隊の指揮を担当した連隊長池村清市(同名簿(五)(略)記載)の計三名であることが認められるが、前示被疑事実2記載中(一)、(三)乃至(七)の「現場指揮者たる直属連隊長被疑者氏名不詳の者」に該当すると認められるのは、連隊長小佐々繁並びに同西田宣治、(八)乃至(一〇)の「現場指揮者たる直属連隊長氏名不詳の者」とは連隊長西田宣治と認められ、被疑事実3記載の者の中、(一)乃至(四)記載の「佐世保橋警備にかかる各連隊」は一個の連隊のみであり、その指揮者は連隊長西田宣治と判明した。

(2) 前示被疑事実中、2の(二)の被疑者は、本件警備当時京都中隊第二小隊第三分隊隊員、警察官中西義明(同名簿(七)(略)記載)と判明した。

(二) その他の氏名不詳直撃警察官特定のための調査

(1) 当裁判所は先ず、氏名不詳の被疑者の特定をするため、二回にわたり、請求人に対し、それぞれ標記趣旨の照会状を発したが、送達不能の者数名を含めていずれも右特定はできなかつた。しかし前示佐世保市立総合病院より取り寄せた診療録謄本により被疑事実二の(九)記載の「学生比嘉某」は「学生比嘉良則」であり、事件当時の住所も判明した。しかし、その余の氏名不詳の被害者については、遂にその氏名を明らかにすることはできなかつた。

(2) 氏名の判明している被害者学生杉直美・同中桐正百・同田中末男・同岩垂弘・同比嘉良則の最後の住居地を管轄する警察署長宛にその所在調査を依頼するとともに、杉直美・中桐正百・田中末男については各大学に、岩垂弘については株式会社朝日新聞社に同人らの現住居を各照会した。また、右田中末男については、検察官送付記録より同人の実父の住居が判明したので、更に右実父宛に田中末男の住居を照会した。

(3) 検察官送付記録あるいは当裁判所の右調査より住居氏名の判明した被害者学生比嘉良則・松尾文夫・野口亨利・田中末男・中桐正百更に、前示当裁判所が取り寄せた診療録謄本及び診断書等から住居、氏名の判明した一般負傷者(警察官を除く)五九名に対して氏名不詳の警察官及び氏名不詳の被害者等を書き入れたものを送付して、これらの者を特定しうるか否か等について、裁判所に対する供述書の提出を求めた。

(4) 前記(1)、(3)に記載した調査の過程において、本件請求の特定被疑事実以外においても、過剰警備の事実に関する情報があれば、これにつき裁判所に対する供述書を求めて調査をした。

(5) 一方、エンタープライズ号佐世保寄港反対闘争における本件警備に関与した五、五〇〇余名の全警察官の氏名を知るため、長崎県・福岡県・熊本県・佐賀県・宮崎県・大分県・鹿児島県・兵庫県・広島県・山口県の各警察本部長並びに大阪府・京都府の各警察本部長及び警視庁警視総監・九州管区警察学校長に対し、当該警察官の氏名・当時の官職・現在の職業・現住所等についてその報告を求めた。

(6) 右各警察本部長、警視庁警視総監、九州管区警察学校長宛に本件警備参加の警察官より警棒使用報告書の提出がなされておればその任意提出を求める旨の照会状を発した。

(7) 本件警備に参加した警察官五、五〇〇余名のうちその各被疑事実地帯付近に居たと考えられる三、五五六名に対し、週刊読売昭和四三年二月二日号第三頁グラビア写真一枚(謄本)、アサヒグラフ昭和四三年二月二日号第五頁写真一枚(謄本)、同号第七三頁掲載の写真一枚(謄本)及びその他の氏名不詳の警察官及び氏名不詳の被害者等を書き出したものを送付して、その氏名不詳の警察官及び氏名不詳の被害者が特定しうるか否か等について裁判所に対する供述書の提出を求めて検討し必要と思われるものを証人として尋問した。

2、被疑者の取調べ

以上の結果、当裁判所は別紙被疑者名簿(略)を作成し、その中、被疑者である北折篤信・同小佐々繁・同西田宣治・同池村清市・同川島広守・同中西義明につき取調べをなした。

一一、当裁判所、受命裁判官及び受託裁判官は証人原田英文外一一六名に対し各証人尋問を実施した。

一二、押収

(一)  昭和四五年押第四号一乃至四の証拠物

診断書二通(田中末男分)・雑誌「告発」(リポート催涙液)一冊・週刊朝日(昭和四三年三月一五日号)一冊・アサヒグラフ(昭和四四年三月七日号)一冊

(二)  崎川範行提出にかかる同人著「危険物ハンドブツク」一冊

(三)  警視庁提出にかかる「拡声装置取扱説明書」二冊

一三、公私の団体等に対する各種の照会

その他審理に必要と認められる点につき、長崎県・福岡県・佐賀県・宮崎県・大分県・鹿児島県・兵庫県・広島県・山口県・大阪府・京都府等の各警察本部長及び九州管区警察学校長・警視庁警視総監・長崎地方検察庁・同庁佐世保支部・長崎地方法務局長・佐世保市長・佐世保市保健所長・佐世保市消防局長・佐世保医師会長・佐世保測候所長・佐世保市立総合病院長・株式会社朝日新聞社代表取締役・株式会社読売新聞社代表取締役・広島大学々長・岡山大学々長・日本弁護士連合会長・各告発人及び各請求人・日本大学理工学部教授崎川範行・中桐正百・結城勉・牧原正己に対し、各種の照会を行なつた。

第四、本件発生に至るまでの概要

本件記録によれば、次の一乃至三の事実が認められる。

一、本件の背景

米国原子力航空母艦「エンタープライズ号」(七五・〇〇〇屯、艦長K・L・リー海軍大佐)を旗艦とする米国海軍第七艦隊所属原子力艦隊の日本国寄港は、既に昭和四一年一月頃から取沙汰されていたが、翌四二年九月七日に至り、オスボーン駐日米国臨時代理大使から外務省に対し、右原子力艦隊の寄港を正式に申出られたため、政府はその寄港を認めるか認めないかの手続きは従来の原子力潜水艦寄港の場合と同じであるとし、まず原子力委員会でその安全性を検討し、これに問題がなければ日米間で口上書を交換のうえ二四時間の事前通告の後その寄港を了承する方針をたて、その後同年一一月原子力委員会から「エンタープライズ号」を含む原子力艦艇の寄港が安全上支障がない旨の答申があつたためこれに基づいて、その頃「エンタープライズ号」等の日本国寄港を了承した。

これに対し、右寄港に反対する団体のうち、日本原水協・原水禁国民会議が同日抗議声明を出したが、野党各党、更に地元の長崎県労評、原子力艦隊寄港阻止長崎県実行委員会も一斉に抗議声明を発表した。それは「日本に寄港しようとしている右原子力艦隊はベトナム海域で直接ベトナム侵略戦争に従事し、北爆に参加している。日本国民は米国のベトナム侵略戦争に反対であり、これらの原子力艦隊の寄港にも反対である。日本を核基地にするような政府の行動に厳重に抗議する」等といつた趣旨を骨子とするものであつた。

「エンタープライズ号」寄港をめぐつて日本国内外において賛否両論が交され、同年一一月横須賀市において、米原子力空母寄港反対運動が行われるうち、昭和四三年一月初めに、新聞等により米国から日本国政府に対し「『エンタープライズ号』等が同月一七日か一八日頃佐世保市佐世保港(以下「佐世保港」と略称する)に、寄港する。」旨の連絡があつたとの報道がなされた。寄港地に挙げられた佐世保市は「エンタープライズ号」の寄港を目前に控えて、野党各党が組織する三つの現地闘争本部がつくられるようになつた。

二、反代々木系全学連を中心とする学生らの動向

昭和四二年一〇月八日、佐藤首相の東南アジア諸国訪問を実力で阻止しようとして、その警備に当つた警察隊に対し、激しい投石を敢行し、角材を振るい警備車を奪つて放火するなど流血の惨事を惹起した第一次羽田事件・次いで同年一一月一二日同首相の訪米阻止行動において、その警備に当つた警官隊に対し、激しい投石をなし角材を振るつた、第二次羽田事件を各経験した全日本学生自治会総連合に属するマル学同中核派・社学同派・社青同解放派のいわゆる三派系全学連(以下「三派系全学連」と略称する。)とこれに革マル派全学連及びこれに同調した学生らの行動は、次のとおりであつた。

(1)  昭和四二年一二月一七、一八日の両日法政大学及び板橋区民会館における全学連主流派と銘打つた同学生らの全国大会において、「一月の『エンタープライズ号』入港阻止佐世保現地闘争を“第三の羽田”として闘い抜く。」といつた旨の大会宣言を採択した。

(2)  昭和四三年一月七日中核派の中央執行委員長秋山勝行が当時本件佐世保闘争の拠点と化していた福岡市六本松四丁目二街区一号所在の国立九州大学教養学部において、記者会見し、「原子力艦隊寄港時には佐世保に三、〇〇〇人から三、五〇〇人を動員し、第三の羽田事件にしたい。」と発言した。

(3)  同月九日には革マル派全学連の成岡委員長が同大学において記者会見し「佐世保には学生一、〇〇〇人を動員して実力闘争を行なう。」といつた趣旨の反対運動方針を公にした。

(4)  同月一一日には三派系全学連の成島忠夫副委員長と高島孝吉書記長の両名が、国立長崎大学正門前において記者会見し、「エンタープライズ号」の佐世保入港には米軍基地内に入つて寄港を阻止し、入港期間中は連日抗議行動を続けて行く」旨の談話を発表した。

(5)  同月一六日午前四時頃国立九州大学教養学部構内にある学生会館に集結した中核派・社学同派・解放派などの学生らによる集会が開かれ、その集会の席上まず冒頭に前示秋山委員長が「エンタープライズの佐世保寄港に反対するため、現地で米軍の基地に突入する。警察官の警備も実力で突破し、今度の闘争を第三の羽田事件とする。」旨決意を表明し、ついで指導者一〇名位が次々に同趣旨の演説を繰り返して、「エンタープライズ号佐世保港寄港を実力によつて阻止するため米軍基地に侵入し、同所で抗議集会を開こう。」との決意を表明していた。

三、警備を担当した警察官側の対策準備

1、警備基本方針の樹立とその具体的措置の施行

(一) 前示のように「エンタープライズ号」の佐世保港寄港を実力によつて阻止しようとする学生らの動向は、国立九州大学を拠点として活発化し顕著なものとなつたのであるが、時の長崎県警察本部長警視長被疑者北折篤信を中心とした「エンタープライズ号」寄港候補港をかかえた地元警備担当関係者らは、前々から「エンタープライズ号」寄港地が「佐世保港」になるかも知れないとの情報もあつたところから、主として前示過激派学生らを対象とした警備対策を検討していた。即ち、前示の如く第一次羽田事件に引続き第二次羽田事件が勃発したが、この時三派系全学連の学生ら多数が、警備担当の警察官に対し、角材・角棒等を振るつて殴りかかり、道路のコンクリート敷石等を割つて激しい投石を続け、更にガソリンスタンドから石油を盗んで、これを警備車にかけて放火する等大規模且つ過激な暴力行為を敢行して、警備に出動していた警察官一、四〇〇名余に負傷を負わせたことが当時の新聞等の機関を通じて広く報道されていたこと、これより前に前示被疑者北折篤信本部長の命を受けて第二次羽田事件の情況を視察すべく派遣されて帰任していた同県警察本部警備部長警視被疑者西田宣治より具体的な前示学生らの過激な行動の体験的報告がなされたこと、又警察庁警備局長警視監被疑者川島広守は佐世保市を視察するとともに、被疑者北折篤信本部長らと警備関係の情報を交換し、その警備(催涙液等の資材関係も含む。)に関し助言を与えたこと、その他の同県警察本部で知り得た情報も加わつて今次「エンタープライズ号」等が佐世保港に入港するに際しては過激派の学生らの行動は羽田事件以上に尖鋭化することは必定であると予測されるに至つた。一方野党各党が設けた前記闘争本部が佐世保市で開催する反対集会や示威行進に際し、過激派学生らの前示行動とが混交して混乱したり、又いわゆる右翼団体と右学生らとの衝突も予想されたこと、以上のようなことから同県警察本部においては、被疑者北折篤信本部長・同西田宣治警備部長・同県警察本部刑事部長警視正被疑者小佐々繁・同交通部長警視被疑者池村清市らを中心に再三にわたり、いわゆる警備対策会議が開かれて、その警備対策についての検討が重ねられた結果被疑者北折篤信本部長は次の五項目を「エンタープライズ号」佐世保港寄港反対闘争に対する警備実施の基本方針として決定した。

(1) 自主統制に期待する。

(2) 負傷者を出さない。

(3) 防護対象への侵入は絶対に阻止する。

(4) 違法行為は見逃さない。

(5) 警棒の使用は命令による。

(二) 長崎県警察本部被疑者北折篤信本部長・被疑者小佐々繁刑事部長・同西田宣治警備部長・同池村清市交通部長を中心とする警備担当者は、決定された右警備基本方針に沿つて事前に次のような具体的措置を逐次採つていつた。

(1) 各種団体の行なう適法な示威行進については当該団体の「自主統制に期待する」との基本方針を円滑に実現するために、昭和四二年一一月二八日被疑者西田宣治警備部長を始めとする警備関係者は、「エンタープライズ号」寄港反対運動の地元主催者である原空寄港阻止全国実行委員会現地闘争本部行動隊長吉永寿一らを長崎県警察本部に招いて同人らに対し、「警察は今回の「エンタープライズ号」寄港の際の警備では反代々木系全学連の動きに最大の関心を払つているが、反代々木系全学連の過去の行動からして、佐世保市内においても行き過ぎが予想され、全国実行委員会の統制に服するとは考えられないので、警察側が反代々木系全学連の不法行為に対する警備措置をする場合、「エンタープライズ号」寄港阻止のための示威行進に参加する全国実行委員会等の労働組合、大衆団体がこれに巻き込まれないように適宜の措置をとつてもらいたい。」旨告げて協力を依頼したのを始め、警察側の警備関係者は、その後も数回にわたつて同県警察本部と佐世保警察署において前示吉永寿一・同現地闘争本部副本部長吉永正人らと会談し、右事項の確認を求めるとともに、「デモのための道路使用は条件付で許可するが、右条件中デモコースの変更については、その時の状況において変更する場合、例えば現地の佐世保橋付近・平瀬橋付近にそれぞれその地点の警備本部側の責任者を置いているので、その責任者と現地闘争本部の主催者側があらかじめ指定した連絡者と話し合いの上警備本部側がコースの変更を命じたなら直ちにこれに従つてデモコースを変更すること。」といつたデモコースの変更がありうることの了解を求めたところ、これらの者は右警察官側の要請を了承していた。

(2) 「負傷者を出さない」との基本方針は三派系全学連を中心とする過激派学生の投石等による攻撃によつて警備中の警察官側に、且つ規制・抑止・検挙によつて右学生側に、又これらに巻き込まれた一般大衆、労働組合員、以上そのいずれにも負傷者を出さないとの目的で定められたものであつたが、これを実現するため、次のような措置がなされていた。

A いわゆる間接規制の採用

過激派学生らの佐世保市における「エンタープライズ号」佐世保港寄港阻止闘争の一環として米国軍佐世保基地に侵入し同基地内で抗議集会をしようとしていることを前示情報により聞知した警備関係者が「防護対象への侵入は絶対に阻止する」ことを警備基本方針の目的としていたことは前記の通りであるが、右目的を達成するとともに警備が容易で警備部隊の阻止線も短く、且つ一般市民が争に巻き込まれて怪我することがないように人家の密集した市街地を避けた地点・即ち佐世保川に架設されている平瀬橋の西詰、同佐世保橋の西詰にそれぞれ警察部隊を事前に配置してここに阻止線を設定し、同所で基地侵入を企てる反代々木系全学連の学生らに対し警告・規制・抑止・違法行為者の検挙の措置をとることとし、その中の規制については、羽田事件のように警察官らと学生らとの人身が直接触れあういわゆる直接規制は彼我に負傷者が続出したことから、この直接規制をできるだけ避けて、大楯並列・防石網・放水・催涙液混入放水・催涙筒等によるいわゆる間接規制の方法を採用し、そのための人員配置、装備の整備に務めていた。

B デモコース地域の環境整備

(a) 米軍ジヨスコー引込線の舗装を完成したこと。

被疑者北折篤信ら警備担当関係者は平瀬橋に通ずる道路に平行して敷設してある貨物線(通称ジヨスコー引込線)の線路敷石が投石に使用された場合、その線路敷石が夥多なところから警察官らに負傷者の続出が予想されたため、佐世保警察署長警視荒木堯己をして関係機関に強力に働きかけさせた結果、その舗装工事を昭和四三年一月九日に完了させるに至つた。

(b) 歩道敷石等の撤去

右警備担当関係者は佐世保橋から松浦町十字路間の歩道敷石(正方形の厚さ約四乃至五センチメートルのコンクリート製)及び並木の添木(直径約一〇センチメートル・長さ約二メートル)等が投石あるいは棍棒等として凶器に使用される虞があると考え前示荒木佐世保警察署長をして佐世保市当局・長崎県北振興開発局等に要請してこれらを撤去させて、道路はこれを舗装させた。

(c) 転落防護柵の設置

右警備担当関係者は、羽田事件で学生らが橋から転落して負傷したことがあつたことから過激な学生らを阻止するための阻止線設定を予定した佐世保橋・平瀬橋の各両側欄干にそれより高さ約一メートルの木材製防護柵を付加して学生らの転落を防止する措置をしていた。

C 右警備担当関係者は昭和四二年一一月一〇日米国軍佐世保基地司令官に対し、文書で

(a) 万一デモ隊が基地に不法侵入しても米国軍による処置は差し控えてもらいたい旨、

(b) 基地内主要ゲート付近に警備のための警察官が立入ることを承認してもらいたい旨、

(c) 米国軍関係者が各種団体の集会場およびそれらの示威行進の周辺を徘徊し、弥次をとばしたり嫌がらせをしたり等の紛争を誘発するような行為をしないこと、又相手方がそのような行為をしてもこれに応じないようにしてもらいたい旨、

(d) 基地入口等には立ち入り禁止の標示をするとともに、基地周辺の破損した柵等を整備してもらいたい旨、

の要請をなしたところ、同月二一日右佐世保基地司令官は書面をもつて、これを全面的に了承していた。

なお、その頃右警備担当関係者は前示佐世保警察署長をして、前示佐世保司令官に対し、デモ隊の一部が不法に米国軍佐世保基地内に侵入した場合、そのデモ隊員と同基地内の守備を任務とする米軍歩哨との間に当然発生する紛争につき、その際の殺傷事態の発生を防止するため、同基地内の米軍歩哨の携帯するカービン銃には弾丸を装填しないことを要請せしめ、その承諾を極秘に得ていた。

D 防犯組合等に対する協力要請

右警備担当関係者は、警備上佐世保市民の協力を求める必要があると考え、前示荒木佐世保警察署長をして、昭和四二年一二月一〇日頃、佐世保警察署に佐世保市中央地区防犯組合および三ヶ町、四ヶ町組合、古物商組合、A級社交場組合、シーメンバー組合、質屋組合の各代表者を招かせて、「エンタープライズ号」入港の際、デモ隊等に巻き込まれて一般市民が被害を受けることのないように外出を努めて差しひかえて貰いたい旨、市内材木店や地金商、酒店等に対しては、佐世保警察署の係員が一軒一軒巡回して「凶器になるような角材・屑鉄・空瓶などを盗まれないようにその格納を厳重にして貰いたい。」旨、薬局・石油業者に対しても「学生らに劇毒物・ガソリン等を販売しないようにしてもらいたい。」旨等の協力要請をさせていた。

E 病院関係等に対する協力要請

右警備関係担当者は、「エンタープライズ号」寄港を実力によつても阻止しようとする反代々木系全学連の学生集団の警察官に対する投石等による暴力行為・同集団と右翼集団との接触・前記間接規制の実効が失われ、終局には直接規制せざるを得なくなつた場合、これを規制逮捕する警察官の実力行使が避け難い情勢であるとの考えから、羽田事件の際と同じように警察官・学生等に負傷者の発生を予想し、それらの救護を計るため、前示荒木佐世保警察署長をして、佐世保医師会をはじめ、佐世保市立市民病院・共済病院・医療法人白十字会中央病院・佐世保同仁会病院等の佐世保市内各大病院に対し、「その救護診療について警察官・学生等を差別せずに診療して貰いたい。」旨、又佐世保医師会の会員から「学生らは氏名・住所を黙秘し、治療費等も支払わないと聞いているがこのような場合治療費はどのようになるのか。」との申出には「そのような場合治療した医師に迷惑がかからないように努力する。」と確約(後日佐世保市が全額負担した。)する等して要請した。その頃事態の推移を憂慮し種々の配慮と具体的措置をしていた佐世保市長辻一三に対しても、救急車の派遣・救護等を依頼していた。

F 報道機関に関する協力要請

右警備担当関係者は、反代々木系全学連の暴力行為及びこれに対する警察部隊の規制検挙の際、これらに報道関係者らがまき込まれないようにするために、取材に当る記者やカメラマンに対し、報道従事者であることを識別するために腕章を付けさせることとし、佐世保総監部海上自衛隊に約一、四〇〇枚の白色の地に報道員であることを印書した腕章を作成させ、これを報道関係者に配付していた。

G 佐世保川の貸ボート店に対する協力要請

右警備担当関係者は、佐世保川の貸ボート店に対し、平瀬橋・佐世保橋から学生等が転落したとき、転落者の救助を、又学生らがボートで基地侵入を試みることを考え、ボートを同人らに盗まれないようその管理を厳重にするよう各要請していた。

2、警備体制の確立

(一) 警備実施の規模とその経緯

(1) 昭和四三年一月初頃、新聞等により「『エンタープライズ号』等の米国原子力艦隊の佐世保港寄港は同月一七日か翌一八日頃となり、又その寄港を実力によつて阻止しようとする過激派学生の総動員数は三、〇〇〇名以上になる。」との報道がなされるなど種々の情勢を考慮した結果「エンタープライズ号」寄港阻止闘争の過程において、同学生らによる米国軍基地侵入・道路交通法違反・公務執行妨害・傷害・放火等悪質な犯罪事実の発生が必至であると予想した右警備関係担当者は、これら数千名に及ぶ学生らの惹起するであろう犯罪事実に対する警告・規制・抑止・検挙に万全を期し、前記基本方針の「防護対象への侵入を許さない、違法行為は絶対に見逃さない」との方針を貫くためには、警備実施部隊四、五〇〇名程度が必要であると判断し、長崎県公安委員会に進言して同公安委員会から警察法第六〇条第一項の規定に基づき、九州各県及び東京都・山口県・広島県・兵庫県・大阪府・京都府の各公安委員会に対し、援助要請をして貰うとともに、同月一四日、地元佐世保警察署に長崎県警察原空寄港警備本部(以下「警備本部」と略称する)を設置した。

(2) かくして警備実施部隊地元長崎県警察隊五八四名に前示長崎県公安委員会の援助要請によつて応援派遣された福岡県警察隊一、一九一名・熊本県警察隊五二五名・佐賀県警察隊二七〇名・宮崎県警察隊一三二名・大分県警察隊二七〇名・鹿児島県警察隊二七〇名・九州管区警察学校警察隊一二七名・京都府警察隊一二九名・大阪府警察隊三五三名・兵庫県警察隊二四〇名・山口県警察隊一二五名・警視庁警察隊二二名の以上計四、二三八名が同月一四日から一八日までの間に佐世保市に集結し終つたが、以上の各部隊はいずれもこれを前示「警備本部」長被疑者北折篤信の指揮下に入れて、これを三個連隊に編成し、その各連隊の長を前示被疑者小佐々繁・同西田宣治・同池村清市とそれぞれなし、小佐々繁の指揮する警備連隊を佐世保市平瀬橋・平瀬ロータリーを中心とした地区に、西田宣治の指揮する警備連隊を同市佐世保橋を中心とした地区に、池村清市の指揮する警備連隊を同市のその他の地区に各配置した。

(3) 右警察部隊は、警備資器材として、警備車八台・放水警備車七台・給水警備車三台・防石警備車三台・バリケード木製九〇個・防石網五八張・拡声器一〇〇ワツト三基・大型楯三七〇個・催涙ガス筒催涙液等を装備していた。

(二) 具体的指揮方法

右警察部隊の指揮は被疑者北折篤信本部長の決裁の下に「警備本部」で次のとおり決定された。即ち整然とした部隊行動を期するため、現場に配置された部隊は、その各部隊のうち最上級の指揮官が全部隊を直接指揮するものとし、各部隊はその統制に服することとする。この場合各部隊長の個別の指揮は許されない。各指揮官は警備本部からの情報、現場の状況に応じて個々に具体的な命令をして指揮し、隊員の行動を明確ならしめることとする。又警備実施中の警告・規制・警棒の使用・放水・催涙ガスの使用・被疑者の検挙については、より細分化され独立した個々の警備活動及び各隊員の正当防衛・緊急避難等己むを得ない場合を除き原則として次の如く定めた。

(1) 現場警告は、連隊長又は大隊長及び中隊長の各指揮により行なうこととした。

(2) 規制措置は連隊長・大隊長・中隊長が命令することとした。

(3) 「警棒の使用は、連隊長又は大隊長の指揮により合理的必要と判断される限度において使用する」こととした。

(4) 放水は連隊長の指揮により行なうこととした。

(5) 催涙ガスは、連隊長の指揮により使用することとした。

(6) 被疑者の検挙は連隊長・大隊長・中隊長の命令により行うが、道路交通法違反被疑者の検挙については無用の混乱を避けるため「警備本部」長の直接の指揮を受けた後中隊長以上の指揮官の指揮により検挙することとした。

(三) 警備基本方針等の隊員に対する徹底化

(1) 被疑者北折篤信本部長の訓示

被疑者北折篤信本部長は、前示各被疑者連隊長及び荒木佐世保警察署長らを伴い、本件の警備にあたつて、長崎県ならびに前示各県から応援派遣された部隊の宿舎を順次訪ねてその全隊員に対し、警備目的・前示警備基本方針・警備警察官の心構え等についての訓示をなし、そのうち「彼我に負傷者を出さないことを最重点とする。警棒の使用は命令による。」等の旨を特に強調し、行き過ぎのないように戒めてその趣旨徹底を計つていた。

(2) 印刷物の配付

被疑者北折篤信本部長の指示により中隊長以上の指揮官に聊かの行き過ぎもないようにとの配慮から「指揮官の留意事項」として印刷された書面を配付し、指揮統制の徹底をはかるとともに、警備部隊員全員に対しても、同趣旨から「警備要員心得五則」と印刷された書面を配付した。右警備要員五則の内容には、「(1)自信をもつて警備にあたること。(2)心にゆとりを持つこと。(3)隊列をはなれるな。(4)世論の支持を得るように。(5)けが人を出さないように。」 との項目を付し、右各項目に若干の説明を加えた別紙「警備要員心得五則」(略)記載のものであつた。

(3) 本件各当日(一月一七日乃至二一日)の警備終了後、被疑者北折篤信本部長は各被疑者連隊長及び大隊長を招集して、当日の警備の状況等の報告を受け、併せてその反省を行なつて前記基本方針の徹底を期した。又同会議終了後帰隊した各大隊長は、右各事項伝達の為自隊の各中隊長を招集して右趣旨の徹底を計り、その集会は深夜に及ぶことがしばしばであつた。

第五、本件各当日の状況

一、事実

1、昭和四三年一月一七日平瀬橋並びにその付近の状況

(一) 米国原子力艦隊の佐世保港寄港に反対する三派系全学連を中心とする学生ら約七〇〇名は、警察官の警備を実力で突破して、米国軍佐世保基地に侵入し、同所で抗議集会を開く意図のもとに、昭和四三年一月一七日午前四時頃拠点校とした前示国立九州大学構内において、殆んどの者がヘルメツトを着用し、タオル等で覆面し、ジヤンパー・ヤツケ・コートなどを着たいわゆる闘争スタイルで身を固めて同所を出発し、午前六時四九分同市国鉄博多駅から同駅発下り急行列車「西海」号に乗り込み、佐世保市に赴く途中、先発していた一部学生らに佐賀県鳥栖市国鉄鳥栖駅で、あらかじめ準備させていた角材在中の長さ二メートル位の梱包一五個を、同県江北町国鉄肥前山口駅で角材在中の長さ一・五メートル位の梱包八個を、いずれも当該駅員から容積が超過するとの理由で客車持込みを制止されたのを無視し強引に客車内に積込んだうえ、これら長さ約一・五メートル乃至約二メートルの各角材でそれぞれ身をかためて、午前九時四五分頃同列車が長崎県佐世保市国鉄佐世保駅一番ホームに到着するや、一斉に客車の窓等から同ホームに飛降りて先ず付近の線路敷地から投石用の石を拾い各自のポケツトに入れたり、又は同駅備え付けの防火用バケツ等につめたり等してそれぞれこれらを身につけて同ホームに整列し、指導者らの指揮のもとに各自角材を頭上に掲げて喚声をあげ気勢を示した後、デモ隊形をとつて当初並み足で同駅集札口に向つて、間もなく駆け足に移つたが、その際指導者の一人が無言のまま、手を上げて前方に一振りすると同時に、同学生らを集札口に誘導しようとして同ホーム跨線橋階段口前付近にいた全く無防備の園田政久ほか二九名の鉄道公安官に対し、口々に「やつつけろ」等と怒号して各自所携の角材で殴りかかり、突き倒す、払う等して襲いかゝつたため事の意外に驚いて同所から退避しようとする各右鉄道公安官の背部等から執拗に殴打し、頭部外傷・頭部・背部・上腕部・大腿部・膝部各打撲傷等により、全治まで七六日を要したもの一名・同三五日のもの一名・同一七日のもの一名・同一三日のもの一名・同八日のもの三名、以上計七名のものに傷害を与えた外多数の鉄道公安官に暴行を加えたうえ、全員いずれも同駅線路敷地上に駈け降り、線路沿いに脱柵しながら急行券と一般乗車券を僅かに計約七〇枚をその線路敷地上に投げ捨てたのみで約七〇〇名のうち約六五〇名以上のものが無賃乗車をなし、なおも線路敷地内から投石用の石を拾つて服のポケツトや、袋、バナナ籠等につめるなどして携行し、午前九時五五分頃同市塩浜町国鉄踏切付近で、警ら用無線自動車一台を投石、角材により殴打等で襲撃してその車体・窓ガラス等を破損したうえ、隊列を組んで角材を振りかざし喚声をあげながら、米国軍佐世保基地に通ずるいわゆるジヨスコー引込線を線路伝いに同市平瀬町所在平瀬橋に向つて疾走して、午前一〇時四分頃同橋東詰付近に殺到し、同橋西詰に阻止線を設定していた同橋周辺の警備担当の被疑者小佐々繁連隊長の指揮する右阻止線上警察部隊に対し、激しい投石を繰り返して攻撃を加えた。

(二) 午前一〇時五分頃平瀬橋及びその東詰付近の三派系全学連の学生らは、携行して来た石を投げ終えると、道路側溝コンクリート製蓋を砕いてコンクリート破片をつくり、これを警察官に投げつける一方前面の学生ら数百名は、平瀬橋上及びこれと平行して架設してある前示ジヨスコー引込線鉄橋上の各バリケードに近接し、これを前示角材や長さ八五センチメートル位の鉄槌で叩き、更に有刺鉄線をカツターを使用し切断する等して破壊にかかつた。これに対し、被疑者小佐々繁連隊長は午前一〇時五分頃から「違法デモは直ちにやめよ。」「投石はやめよ。」「投石を中止しなければ放水する。」旨の警告放送を繰り返すとともに同趣旨の警告を記載した懸垂幕を掲示するなどして警告したが、学生らはこれに応ずる気配など全くなく、依然として阻止線に配置された警察部隊に前示暴行を続けて警察官に受傷させるとともに公務の執行を妨害したため、被疑者小佐々繁連隊長は学生らの右暴行を制止するため前示午前一〇時五分頃放水班長に「放水せよ。」と命令し、配置していた放水警備車二台から断続的に放水せしめた。しかし右学生らは、なおも激しい投石を続ける等過激な攻撃を止めなかつたため、被疑者小佐々繁連隊長は警備警察官の身体の防護と、公務執行妨害行為の抑止のため催涙ガス・催涙液を使用することを決意し右学生らに対し、「投石を止めなければ催涙ガスを使用する。」旨、又その現場近くにいた一般群集に対し「催涙ガスを使用します。危険だから現場から退去して下さい。」「病院は窓をしめて下さい。」等とそれぞれ繰り返し繰り返し警告放送をしたが、佐世保市民病院の四階の窓が一向に閉じられず、又市民も一部は退去したものの、大半は居残つたため、前示警告放送は相当回数なされ、又同趣旨の警告を記載した懸垂幕を掲げる等して手間取る中、学生らは前示鉄橋上の二個の木製バリケードのうちの第一バリケードを乗り越えて第二バリケード付近にまで進出し、同所から盛んに投石をし始めて、前示阻止線上の警察官に負傷者が出始めたこと、又公務執行妨害行為も激しくなつたことから、午前一〇時一〇分頃被疑者小佐々繁連隊長はガス班に「催涙ガスの使用」を命令した。そのために警察部隊は催涙ガス弾投てきを開始し、これと合せて放水も行なつたところ、学生らは平瀬橋上に数人を残し殆んどの者らが佐世保市民病院前道路上付近まで後退したが、まもなく後退した学生らのうち五、六名のものが佐世保市民病院南方の同市島町島地公園前の崖に立てかけてあつた映画広告用立看板数枚を持ち出し、これを放水よけの楯として平瀬橋上に進出し、他の学生らも再び同橋上に出て、前同様激しい投石をなすとともにバリケードの破壊を続けた。又学生らのうち一〇名位が前示鉄橋上の第一の木製バリケードを破壊してこれを突破し、投石しながら第二の木製バリケードの柵に登り米国軍佐世保基地内に侵入しようとした。被疑者小佐々繁連隊長は放水の圧力により足場の悪い鉄橋上にいる学生や第二バリケードに登つている学生らが吹き飛ばされて佐世保川に転落することを慮り、放水班に「放水の圧力を下げよ。」と命じながら、学生らに対して放水を続けさせた。一方同被疑者連隊長は、継続してその現場近くに居た一般群集に対し「催涙ガスを使用している。」「一般市民は危険ですからここから退避して下さい。」等と警告放送を行ない、右学生らに対しては「学生らはこん棒をすてて投石をやめ、即時解散せよ。」等と警告放送させていた。然しながら学生らの警察部隊に対する投石角材等によるバリケードの破壊等が激しく続けられたため、被疑者小佐々繁連隊長は警備中の警察官の身体の防護と、公務執行妨害行為の抑止のため、午前一〇時一二分頃放水班に対し「放水に催涙液を混入せよ。」と命令し、放水に催涙液を混入(以下「催涙液」と略称する)して放射させた。催涙液放射は、これを約一〇秒間、続いて真水放水を約二〇秒乃至三〇秒間なす、かように催涙液放射と真水放水とを交互にしてこれを繰り返す方法でなした。同被疑者連隊長が以上のような抑止手段をとつたけれども学生らの集団は、場合によつて平瀬橋上・鉄橋上から一時後退することはあつても、間もなく両同橋上に進出して激しい投石・角材等によるバリケードの破壊等をなし衰えることはなかつた。学生らの後方佐世保市民病院前道路上並びにその前方のジヨスコー引込線路上付近では、赤十字のマークをつけた女子学生を含む一〇数名の学生らが投石用の石を集めて容器に入れ、これを逓送して学生らの先頭にいる者らに渡し投石させていた。付近に投石用の石がなくなると、前示ジヨスコー引込線路の舗装を両側から掘り起して石等を集めてこれを投石している学生らに逓送していた。午前一〇時四四分頃、付近の民家から持ち出した長さ約三〇メートルのロープ二本を平瀬橋上や前示鉄橋上の各バリケードに結びつけ、指導者の笛の合図で計約五〇名の学生等がこれを掛け声をかけて引つ張り破壊にかかつた。このため平瀬橋上の有刺鉄線のバリケード数個が破壊され残るバリケードは数条となり、鉄橋上の木製の第二バリケードも同じく破壊されそうになつた。そこで被疑者小佐々繁連隊長は、宮崎中隊(隊長井野元繁以下一二七名)に命じ、鉄橋上で破壊されかかつている前示第二バリケードの補強をさせる等して同所の阻止線を維持した。この間学生らの宮崎中隊警察官に対する投石は一段と集中的に激しく続けられていた。そこで被疑者小佐々繁連隊長は警察官の投石による負傷者の続出並びに学生らの執拗な前示公務執行妨害等を考慮し、催涙ガス等による間接規制のみでは学生集団の右各行為を抑止することは不可能であると判断し、被疑者北折篤信本部長に対し学生らを規制検挙するため平瀬橋に警察部隊の増援方を上申した。

被疑者北折篤信本部長は右増援上申に基づき、学生らを規制検挙することとし、当時西田連隊に所属していた大阪大隊(隊長井上五郎以下三五三名)・同京都中隊(隊長芦田孝男以下一一三名)を平瀬橋の方に転出増援させることとして、右大阪大隊を国道五三号線から平瀬橋に通ずる博多屋本館側道路を通つて佐世保市民病院南側玄関前に西進させ、右京都中隊を同市佐世保橋東詰から佐世保川に沿つて南進させて佐世保市民病院の西側道路上に出るようにし、一方小佐々連隊に所属していて平瀬橋西詰に配置されていた熊本大隊(隊長東文一以下五〇三名)を平瀬橋を渡つて東方に進出させ午前一一時五〇分を期して三方より学生を規制検挙して、その大部分を鯨瀬埠頭に通ずる佐世保川沿いの道路に排除する直接規制並びに公務執行妨害罪等による現行犯逮捕に移ることとした。命を受けた右大阪大隊は、午前一一時四〇分過ぎ頃同市島地町の博多屋本館前の交差点を佐世保市民病院の方に向けて右折し、大隊長の命令によつて各隊員はいずれも警棒を抜き乍ら平瀬橋に向つて前進し始めたところ、これに気付いた学生集団の後方の約三〇名位の学生らは「来たぞ。」「やつつけろ。」「このやろう。」等と怒号しながら一斉に角棒を振りあげて同大隊の先頭警察官らに殴りかかると共に激しい投石を加えてきた。同大隊は数少ない大楯を先頭にこれを防ぎながら進んだが、学生らの抵抗が強く思うように前進できなかつた。そこで午前一一時四四分、同大隊長は、全隊員に「前進。」「突込め。」「棒を持つている者を検挙せよ。」と命令して、急遽学生らに接近し同人らの規制・抑止と検挙に着手し、これを佐世保市民病院南側玄関前道路上の方へ規制した。又、命を受けた京都中隊も午前一一時二六分、佐世保川沿いの平瀬橋北方約一五〇メートルの共済病院下黒塗電柱付近道路上に到着し、ここで芦田中隊長は「警棒抜け。」「投石または角棒を持つて抵抗している学生らは全員逮捕せよ。」と隊員に命令して、警棒を抜かせ前示川沿いに進んだが、同四七分頃佐世保市民病院西側裏口付近道路上まで前進した時、大阪大隊から規制され同所付近に来た学生ら二〇数名より所携の角材で殴りかかられ投石を受けて激しい抵抗を受けたが、午前一一時四五分頃、佐世保市民病院前交差点道路上の方に右学生らを圧縮規制した。そのころ大阪大隊に規制されてきた学生らも前示交差点道路上付近に逃げて来ており、同学生らはそこで合流し、いずれも警察官らに角棒で殴りかかつたり突いたりしていたが、この頃熊本大隊も被疑者小佐々繁連隊長より「全員公務執行妨害罪で検挙せよ。」との命令を受け、東文一大隊長の命令により元阻止線の警備に残した宮崎中隊を除いた各隊員が長さ一・三メートル直径二・八センチメートルの警杖を手に持ち、同橋上の残つた二条位のバリケード上に大楯を乗せこれを踏み台にしてバリケードを越え前示佐世保市民病院前交差点まで進出し、右大阪・京都の各部隊と共に前示学生らの規制検挙に移つた。警察部隊は同交差点道路上から学生らの殆んどの者を被疑者北折篤信本部長、同小佐々繁連隊長らが直接衝突による負傷者を出さないために意図して設けた逃げ道の警察部隊のいない鯨瀬埠頭に通ずる道路へ、その一部約一〇〇名を見物のため来ていた一般群衆がひしめいている佐世保市民病院入口付近へ、それぞれ排除した。前示鯨瀬埠頭に通ずる道路に排除した大部分の学生らは更に投石を開始して反撃を試みようとしたが、防石網を張るなどしてその北上を阻止した大阪大隊第二、第三中隊に阻まれて、そのころ同所から立去つた。一方佐世保市民病院付近の学生らは、同病院の建物と道路との間の窪地のようになつた処に飛び込んで、同所から同病院地階の窓を壊してその地階に逃げこみ、その間のまを持たせるため一部の者は機を見て警備警察官に対し角材をもつて殴りかかり突き上げる等の暴行をしたので、京都中隊員は同所の学生らの上方から大楯で蓋をするような形で覆つて右抵抗を抑止したうえ公務執行妨害罪により学生一〇数名を逮捕した。その他の佐世保市民病院敷地内に逃げ込んだ学生達は大阪大隊第一中隊が追跡したところ、同病院の植込や同玄関付近に見物していた一般群集とまじり合つて判別不能となり、同中隊は引揚げた。その間佐世保市民病院に入つていた学生らは、正午頃同病院正面玄関前に約一〇〇名が現われ、スクラムを組み角材を掲げて行進に移つたので、右大阪大隊長が「角材を捨てよ、角材を持つている者は全員検挙する。」旨の警告をなしたところ、所持していた角材を同所に放擲した後、同大隊監視の中を隊列を組みながら同所を立去つた。

(三) 以上の如く、大阪、京都、熊本の各警察部隊は、右三派系全学連を中心とした学生らの抵抗を抑止し、角材を所持していた学生らの検挙のため警棒を使用したが、この際京都中隊が学生ら一五名・熊本大隊が同五名・大阪大隊が同一名・その他の部隊が同六名、以上計二七名を公務執行妨害罪、兇器準備集合罪で検挙した。なお同日前示状況の下に負傷した者は、警察官が学生らの投石により受傷した者四九名・同角材により受傷した者一〇名・催涙液等により受傷した者二五名・その他の者二名小計八六名、鉄道公安官が学生らの角材により受傷した者七名以上司法警察職員計九三名、学生らが警察官の警棒により受傷したと届出た者二名・催涙ガスにより受傷した者一名・受傷原因不明の者二五名以上計二八名、新聞記者を含む一般人が警棒により負傷したと届出た者一名・受傷原因不明の者五名計六名・所属受傷原因共に不明の者が一四名であつた。

2、同月一八日佐世保橋付近の状況

(一) 前日平瀬橋付近で過激な暴力行為を敢行した後佐世保市を引きあげ、本件闘争の拠点校である国立九州大学に宿泊した約五五〇名の三派系全学連を中心とした学生らは、一八日それぞれ白色、青色、銀色のヘルメツトを着用して福岡市国鉄博多駅発午前九時四六分の急行列車「平戸」号に乗り込み、午後一時二〇分頃佐世保市国鉄佐世保駅に到着した。右学生らは途中佐賀県鳥栖駅で角材五〇本を同列車内に搬入しようとしたが、警察官の検問によつて発見押収され、角材の準備は失敗に終つた。又一方革マル系学生ら約一七〇名は福岡市から西日本鉄道株式会社通称「西鉄」の貸切バスで午後一時五分頃佐世保市に到着した。

佐世保駅に到着した三派系全学連等の学生らは駅前広場に集結、六列縦隊に整列した後、直ちに安保破棄諸要求貫徹中央実行委員会(以下「中央実行委」と略称する)および原子力艦隊寄港阻止全国実行委員会(以下「全国実行委」と略称する。)共催による「原子力艦隊寄港阻止佐世保大集会」会場の佐世保市光月町佐世保市民グランドに向つて駆け足行進のデモを行ない、午後一時四三分頃同会場に到着した。学生らは会場周辺を気勢をあげながら半周し、大会場になだれこんだ。また革マル系学生らも午後一時二〇分頃佐世保市民グランド北門から同会場に入り大会に参加した。ここでも学生らの各指導者は警察部隊の阻止線を実力で突破して米国軍佐世保基地に侵入する旨の決意を表明し、その旨の扇動演説を繰り返した。午後二時一四分頃右大集会終了と同時に集会参加者等は宣伝車を先頭に佐世保市民グランドを出発し、示威行進に移つたが、三派系全学連学生らは、これより早く会場を出て同市京町旧虎屋ビル前道路上から同市松浦町佐世保消防署前道路上までの国道三五号線をジグザグデモを、同消防署前から同市松浦町松浦交差点まで道路いつぱいに手をつなぎ合つて行進するフランスデモを、同市国際通りでは激しいジグザグデモ等いずれも道路交通法違反行為をしながら気勢をあげ、午後二時四〇分頃前示佐世保橋東詰付近に到着した。革マル系学生らは前示「全国実行委」のデモ隊の前方を激しくデモ行進をしながら、同市松浦町松浦公園を経て午後二時四二分頃佐世保橋に到着し、三派系全学連等の学生らと合流した。

(二) 被疑者西田宣治連隊長は佐世保警察署内に設置された警備本部から提供される本部情報を無線で傍受し、前示学生らの米国軍佐世保基地への接近を知りこれら学生らの不法行為を抑止するため佐世保橋西詰側に長崎第一大隊(隊長境宗明以下三七五名)・京都中隊(隊長芦田孝男以下一一二名)と防石車一台・放水警備車二台・給水警備車一台・警備車二台を配置し、午後二時三〇分頃同橋の一般の車両の交通を遮断し、次いで学生らが同橋に接近する直前一般人の通行を遮断して学生らに対し阻止線を張つた。

(三) 三派系全学連学生ら約五五〇名は、午後二時四一分頃各派毎に六、七列縦隊をとり先頭から二、三列の者が角材等を横に構えて佐世保橋上でジグザグデモとうず巻きデモを繰り返しながら前示阻止線上にいる長崎部隊の警察官に対し投石を続けて、角棒などで殴りかかつたり突いたり等して攻撃を加えていた。これを見た被疑者西田宣治連隊長は同部隊の広報車から「学生のデモ行進は違法であるから即時解散せよ。」「石を投げてはいけない。」「石を投げるのを止めよ。」等と繰り返し警告放送するとともに、被疑者西田宣治連隊長の「警棒構え。」「規制検挙。」の命令により警棒を抜き大楯を前面にして学生らに向つて前進し、徐々に佐世保橋東詰まで圧縮規制したが、この頃革マル系学生約一七〇名が佐世保橋に到着して右学生らと合流し、規制中の長崎部隊に対し、激しい投石をして反撃すると共に長さ約一メートルないし約二メートルの角棒で同部隊警察官らに殴りかかり、又学生ら約一六〇名は隊列を整え、先頭集団数名が角材・丸太三本を横に構えて同部隊列めがけて突込む等激しい攻撃を加えていた。長崎部隊は、学生らの投石・角材等による殴打等の攻撃を受け、負傷者が出始めるに至つたので同橋西詰のもとの阻止線まで後退した。被疑者西田宣治連隊長は警察官の身体の防護と公務執行妨害行為の抑止のため放水・催涙ガスの使用を決意し、午後二時四二分頃右学生ら及びその現場近くに居た一般群衆に対して、「学生らは角棒を捨てて退去せよ。」「投石してはいけない。」「催涙ガスを使用します、一般の市民は危険ですからここから退避して下さい。」と警告放送を繰り返し繰り返し行つたが学生らの前示抵抗が依然として続けられたため、被疑者西田宣治連隊長の命令により午後二時四三分から放水を開始したがその後も激しい投石が続けられたため、午後二時四八分頃から催涙ガスを使用して学生らの攻撃を防いだ。これに対し学生らは放水・ガス弾によつて前進をはばまれながらも右ガス弾を拾つて投げ返すなどして執拗に攻撃を繰り返し、又長時間にわたつて佐世保橋上でジグザグ・うず巻き行進をしながら連続的に投石、突込みなどして攻撃の手をゆるめなかつた。被疑者西田宣治連隊長は警察部隊に命令して、午後二時四九分頃、同三時七分頃の二回にわたり長崎第一大隊、京都中隊が学生らを佐世保橋の東詰まで排除し、その都度同橋西詰阻止線まで後退するという規制を行わせ、午後三時一五分すぎ頃には長さ約四・一メートル、幅約一二・二センチメートル、厚さ約六・三センチメートルの角棒と長さ約九・三メートル、直径約一〇センチメートルの丸太棒を二〇名ないし三〇名の学生が縦に構えて抱きかかえ、激しい力で警察部隊に突きあてる攻撃をしてきた。警察部隊はこれを取り上げるとともに、同橋上から学生らを排除したが、その後も学生らは激しい投石、突込みを繰り返してきたので、被疑者西田宣治連隊長は警察部隊に命令し午後三時四七分頃から同五一分頃まで断続的な放水・催涙ガス弾投擲を行わせ右学生らの阻止線突破を阻止していた。

(四) 被疑者西田宣治連隊長は、午後四時五分頃、同市浜田町浜田公園付近にいた福岡実施第一大隊(隊長福井一二三以下三九八名)に対し学生らの側面から、長崎第一大隊福岡第二大隊京都中隊をいずれも佐世保橋西詰の正面から、それぞれ前進させて学生らを規制検挙することとした。その結果長崎大隊が学生らを一三名・京都中隊が同一名・福岡大隊が同一名以上計一五名を公務執行妨害罪・道路交通法違反等で検挙した。学生らはその後もうず巻きデモや投石を続けながら午後四時二五分頃同所を立ち去つた。

(五) なお、同日前記状況の下に負傷した者は、警察官で投石により負傷した者四一名・角材により受傷した者一三名・催涙ガスにより受傷した者一四名その他の者二名、受傷原因不明の者一名以上計七一名、学生らが警棒により受傷したと届出た者一名・催涙ガスにより受傷した者二名・受傷原因不明の者一四名、以上計一七名、一般人が受傷原因不明の者四名・所属受傷原因不明の者が五名であつた。

3  同月一九日佐世保橋付近の状況

(一) この日は「エンタープライズ号」等が寄港した。三派系全学連の学生ら約二〇〇名は全員がヘルメツト、覆面のいわゆる闘争スタイルで、佐世保市国鉄佐世保駅前広場に集合し、同所でジグザグデモを行なつて気勢をあげた後、米国軍佐世保基地に侵入し抗議集会を開くことを目的として、六、七列縦隊で同基地方向に行進を始めたが、途中午前七時二〇分頃同市塩浜町所在の萩原材木店木材置場前に差しかかるやそのうち一五名位のものが無断で同置場の塀を乗り越えてその内にはいり、同所に格納してあつた長さ約三メートルで三・三センチメートル角位の角棒一九六本を盗み出し、これを近くに停車していた貨物自動車のバンバーに押しあてるなどして二つに折り、これを各学生らがそれぞれ手に持つとともに、同所付近の鉄道線路敷地から石を投石用として拾い、ポケツトに入れたりボール箱に収納するなどして身をかためた後、国道いつぱいに広がつて駆け足デモを行い、午前七時四〇分頃佐世保橋東詰に到着した。

(二) その頃被疑者西田宣治連隊長は前示学生らの米国軍佐世保基地侵入行動を阻止するため、佐世保橋西詰に、前面に長崎大隊(隊長境宗明以下三四一名)、その後方に京都中隊(隊長芦田孝男以下一一二名)・鹿児島大隊(隊長中脇英孝以下二七〇名)、これに放水警備車三台・防石車一台・警備車二台を各配置して阻止線を張つていた。

(三) 右学生らは、佐世保橋西詰の警察部隊の阻止線を一挙に突破しようとして同所の長崎大隊に対し、激しい投石を繰り返すとともに、角材で殴りかかる等の攻撃を執拗になしたため、同所の警察官に受傷者が出始めたところから、被疑者西田宣治連隊長は、警察官の身体の防護と右学生らの公務執行妨害行為を抑止するため、放水並びに催涙ガス使用を決意し、右学生らに対しては「投石をやめよ。」「角棒を捨てて解散せよ。」と警告し、その現場近くに居た一般群衆に対しては「市民の方は催涙ガスを使用して危険ですから退避して下さい。」と警告広報しこれを何回も繰り返すと共に「催涙ガスを使用する。」旨の懸垂幕を張つて警告したが、学生らは警告を無視してなおも警察部隊の前示阻止線を突破しようと投石等の暴行を続けたため、午前七時四三分頃放水を開始し、同七時四四分頃に催涙ガスを発射して学生らの投石を防ぎ、更に前示暴行が続いたため同七時四八分頃長崎大隊は大隊長の「圧縮検挙せよ。」との命令により大楯を先頭に前進し、これを同市国際通り方向に排除した後前示阻止線を張つた位置に後退した。学生らは長崎大隊が後退すると再び隊列を整えたのち佐世保橋上いつぱいに広がつてジグザグデモをしながら警察部隊に対し、投石をしながら角材で突きかかつてきていた。学生らは警察部隊の放水・催涙ガス使用に全くひるむ様子はなく、投石・角材で殴りかかる等の攻撃を警察部隊に対し繰り返した。そこで長崎大隊は午前八時二四分頃学生らを大楯を先頭に投石・角材による殴打等を防ぎながら圧縮規制を行なつて学生らを佐世保橋から排除した後もとの阻止線に復した。この時角材等で抵抗した学生二名を公務執行妨害罪等の現行犯で逮捕した。

(四) 学生らは午前九時三〇分頃佐世保橋東詰に停滞し、指揮者がアジ演説を始めたが、その間一部学生らがコンクリート溝蓋を破砕して投石準備をし、午前九時三一分頃学生らの二団が、長さ約四メートル・直径約一〇センチメートルの棒を横にして警察部隊に突込んだため、警察部隊はこれを分断して圧縮規制した。学生らは午前九時五五分頃更に阻止線上の警察部隊に近接して投石を始めた。警察部隊は放水でこれを制止するとともに、長崎大隊をもつて圧縮規制を行なつた。このため学生らは投石を止めて同橋の東詰まで後退したが、途中、同橋中央に道路いつぱいに坐りこみ万国労働者の歌を歌つて気勢をあげていた。

(五) 学生らの一部約一二〇名が午前一〇時七分頃坐りこみを解き、同所から駆け足行進に移り同市国際通りを経て前示松浦交差点を右折して同市名切町の所謂名切米国軍佐世保基地入口に向い、午前一〇時一一分頃同地点の警備に当つていた広島大隊に投石を開始し、名切米国軍佐世保基地へ侵入を試みたが、広島大隊に阻止されそのまま国道三五号線を示威行進をしながら前示佐世保消防署前付近に至り、同付近のコンクリート溝蓋を破砕しコンクリート塊をつくつて、投石準備を整え、午前一〇時二二分頃同市名切町佐世保市立図書館付近に阻止線を張つていた広島大隊及び応援に駆けつけた鹿児島大隊に対し激しい投石をなし、角材で突くなどの攻撃を加え、再び米国軍軍人等佐世保名切住宅基地へ侵入を図つたが、広島大隊は先頭に大楯を構えて学生らを国道三五号線まで圧縮規制した。このため学生らは、午前一〇時四五分頃国鉄佐世保駅方面へ国道三五号線上を示威行進しながら立去つた。一方佐世保橋上で坐りこんでいたその余の学生らも午前一〇時二六分頃同所を立去つた。

(六) なお、同日前記状況下で負傷した者は、警察官で投石により受傷した者二〇名・角材により受傷した者九名・その他の者四名、以上計三三名、学生が警棒により受傷した者七名・その他の者一名・受傷原因不明の者三〇名、以上計三八名、一般人が受傷原因不明の者が二名・所属受傷原因共に不明の者が六名であつた。

4  同月二一日佐世保橋付近の状況

(一) この日、午前九時四五分頃三派系全学連学生ら約五〇〇名が、急行列車「西海」号で国鉄佐世保駅に到着し、同駅ホームで「全学連は戦う。」「エンタープライズ入港を実力で阻止する。」等のシユプレヒコールを繰り返し、万国労働者の歌を高唱したりして同駅前広場に出て、同所を出発し国道三五号線の道路いつぱいのジグザグ行進を行なつたり、駆け足行進をしながら佐世保市戸ノ尾交差点名切交差点を経て、「中央実行委」・「全国実行委」共催の「原子力艦隊寄港抗議」集会場である同市松浦町松浦公園に至つたが、これら学生らは殆んどの者がヘルメツトを着用して覆面するいわゆる闘争スタイルであつた。同公園に到着した学生らは前示主催者の「中央実行委」、代々木系民青同学生らから入場を拒否されたため一時集会場に入ることができなかつたが、「全国実行委」側よりの取り成しにより間もなく同集合場にはいつた。右集会終了後「中央実行委」・「全国実行委」の示威行進が始まつた。一方前示三派系学生ら約五〇〇名は、集会終了直後同会場内にあつたプラカードの柄(角材)約六〇本、青竹一二本を取つて身を固め、更に会場周辺に到着していた社青同解放派学生ら約一七〇名と合流したうえ、午後一時三六分頃同公園前の十字路で一〇列縦隊をとつて、「基地内集会を勝ちとるぞ。」等と叫びながら同所を出発して示威行進に移行し、午後二時四分頃佐世保橋東詰に到着した。

(二) その頃警備本部では右学生らがこれまでの経緯により米国軍佐世保基地侵入行動を起すものと考え、それが所謂刑事特別法第二条に違反する等のことから、これを阻止するため右学生らの同橋接近を情報で知つた同橋警備担当の被疑者西田宣治連隊長は同橋西詰に、その指揮下の長崎大隊(隊長境宗明以下三七〇名)、京都中隊(隊長芦田孝男以下一一二名)、福岡第三大隊(隊長手島豊以下三九八名)を警戒警備の任にあたらしめ、同橋西詰の橋上南側に警備車二台を阻止線の一部として併列した外、防石車一台、放水警備車三台を各配置して阻止線を張つていた。

(三) これより先、午後一時四三分頃前示松浦公園から出発した「中央実行委」・「全国実行委」のデモ隊が、宣伝カーを先頭に佐世保橋東詰に到着した。ところで、当日のこの示威行進のための道路使用許可については、三派系全学連の学生らの当日までの前示暴力行為の行動等を考慮し、その道路使用許可に際し、条件として「行進経路と通行区分」につき「但し、情勢の変化により現場における協議によつて許可コースを変更することがある。」という一項が付されていた。この「現場における協議」によつてデモコースを変更しようとしたのは、警備方針の「自主統制に期待する。」ことに副うため、主催者側を信頼するとの前提に立ち、警備本部側でコースの変更を必要とする場合、その現場の状況を説明すれば警備本部側の考えを理解して貰えると考え、主催者側の納得づくで変更しようと配慮したからであつた。被疑者西田宣治連隊長は関係警備警察官より右デモ隊の中には過激派学生がまぎれ込んでいるとの情報もあり、且つ前示三派系全学連の学生らの主力集団もまもなく佐世保橋に到着するとの報告もあつて、それらの学生らが従前と同じく激しい投石と角棒による暴力を振うことは必定であると考え、このような状況下において右デモ隊を通過させるときは、より以上に混乱を来たし、暴行学生らの暴力行為と、これらを警察部隊が抑止検挙する際に同デモ隊員にも危険が及ぶこと等を顧慮し、佐世保橋通過の右デモコースを変更せざるを得ないと判断して示威行進の責任者らに対し、「三派系全学連の学生らがこの近くに来ていて、すぐここに突込んで来る。そうなるとこれまでの学生らの行動から混乱し、危険になる。」旨当時の状況を説明して、コースの変更を促すとともに、長崎大隊を同橋西詰から東詰に前進させて同所で学生らの前示基地侵入に備えて阻止線を張らせながら、前示示威行進の責任者らに自主的にデモコースを変更するよう図つたが理解して貰えないでいるうち午後二時頃右協議現場に三派系全学連の学生らのデモ隊が来襲したので右協議は打切られた。三派系全学連の学生ら約五〇〇名は、佐世保橋東詰に到着するやそのうちの約六〇名が、所携の角棒を振り上げ喚声をあげて右長崎大隊員に対し、激しく突き掛り、殴りつけたりするとともに、他の学生らは盛んに激しい投石を敢行した。被疑者西田宣治連隊長は、佐世保橋東詰の阻止線においてこれら学生を阻止すると一般デモ隊員に危険が及ぶと判断し、学生らに対し、違法行為を止めるよう再三にわたつて警告し、長崎大隊をして同橋西詰まで後退するよう命じた。そのため長崎大隊は警棒を構て大楯をもつて右学生らの前示攻撃を防禦しながら徐々に同橋西詰へ後退を始めたが、学生らは右長崎大隊の後退に乗じて同橋中央付近に進出した。長崎大隊は佐世保橋西詰まで後退し、同所で他隊と共に阻止線を張つた。学生らは右阻止線に対し、尚も投石を続け、又その内六〇名乃至七〇名は右阻止線に近接して大楯を構えている警備警察官に対し所携の角材・青竹による殴打・足払い・突き込む等の攻撃を加えて、その攻撃は一段と激しくなつた。そこで被疑者西田宣治連隊長は、警察官の身体の防護と公務執行妨害行為の制止・抑止のため、放水と催涙ガスの使用を決意し、右学生らに対し、「角材を捨てて解散せよ。」「投石を止めよ。」「角材を捨てて投石を止めなければ放水並びに催涙ガスを使用する。」と警告放送すると共にその現場近くに居た一般群衆に対し「一般の方々は放水しますから退避して下さい。」「催涙ガスを使用して危険ですから退去して下さい。」とそれぞれ繰り返し繰り返し警告放送した後、午後二時八分頃依然として学生らの暴行が続けられたので、被疑者西田宣治連隊長は放水班に対し「放水せよ。」と命令し暴力行為中の右学生らに対し放水させたが、学生らは放水中後退しただけで再び体制を整えて橋上に進出して来て、同橋上にいつぱいに広がり交互に警察部隊の阻止線の直前に躍り出ては投石を繰り返すとともに、角材を所持していた六〇名乃至七〇名は大楯を構えている阻止線の警察官を殴打したり、バリケード用に設置していた警察部隊の有刺鉄線を佐世保川に投げ捨てるなどして警察部隊に攻撃を加えたので、午后二時九分頃被疑者西田宣治連隊長は同市相生町相生橋等に配置していた福岡第二大隊(大隊長福井一二三以下三九八名三個中隊編成・一個中隊は中隊長以下各一二七名)に対し「佐世保橋東詰に転進し学生の後方を遮断し検挙せよ。」との命令を発した。このため同大隊は佐世保橋東詰北側に南面して同隊第一中隊を、同橋東詰東側観光通りに西面して同隊第二、第三中隊を配置して同橋上の前示学生らに対する阻止線を張つたが、同所付近は一般見物人が多く、学生らの動きが判然としないうえに学生らから投石を受けて思うような行動も出来なかつた。一方検挙前進の命令を受けた同橋西詰阻止線の長崎大隊第一中隊は午後二時一四分右阻止線から同橋上に前進して右過激な学生らを同橋東詰まで圧縮排除に掛つたが、右学生らの更に激しい投石等の攻撃を受けて止むなく同橋西詰の元の阻止線の位置まで退いた。午後二時一五分から同時二〇分頃までの間佐世保橋上の学生集団は、長さ四・五メートル位の竹竿数本を縦に抱え、槍状にして喚声をあげて阻止線上の警察部隊に突き込み、これに角材による殴打等を併せ加えたため、阻止線はその都度くずれそうになつていた。又投石、角材、竹槍突込み毎に警察官に負傷者が続出していた。午後二時一六分頃労組員デモ隊約二、〇〇〇名が福岡大隊第一中隊が阻止線を張つていた後方から突然出現して広報車を先頭に同市浜田町浜田郵便局前に進行して来たので、同中隊はその進路方向が前示のように混乱していることなどからその進出を制止したが同デモ隊はこれを無視して多数をたのみ同中隊の阻止線を分断して突破した。その際同デモ隊の中に同隊警察官が巻き込まれることもあつたが、これらもその中から受傷した後脱出した。その頃佐世保橋上にいた学生らを検挙規制するため前示佐世保橋東側国際観光通りに佐世保橋向きに阻止線を張つていた右大隊第二、第三中隊も不意にその背後から一般デモ隊本流よりその阻止線を分断されて突破されたがその際同各中隊の警察官も多数の受傷者を出した。一般デモ隊は阻止線を突破した直後佐世保橋東側四さ路上で激しいうず巻きデモを敢行し、そのデモ隊員は福岡大隊第二、第三各中隊の警察官らを捉えてこれらをうず巻きデモの中に引き入れようとし同警察官の所持する大楯等を捉えて引つ張るなどして同警察官らから大楯四枚・腰につけていた警棒二本を奪い、大楯はいずれも二つ折りに破損させて佐世保川に投棄し、警棒一本は二つに折つて同所に放置した。一般デモ隊は前示行動後佐世保橋上に進出して来た。過激な学生らは放水されるとその時は退却するがこれが止むとすぐ進出して攻撃を加えるという行為を繰り返して解散の気配は見られず、激しい投石と角棒等による突き込み、橋上いつぱいにうず巻デモ等をして同橋西詰の阻止線を突破しようとして波状攻撃を続けた。警察部隊は学生ら並びに一般群衆に対し同二四分頃まで「投石を止めよ。」「角材等を捨てて解散せよ。」「一般デモ隊の人々は橋上から退避して下さい。」「これから催涙ガスを使用して危険ですから退避して下さい。」等の警告放送を四回、同じく二七分頃より三六分頃までの間に重ねて四回の警告放送を行なつたが、学生らの行動は依然として続けられ、且つ佐世保橋上にいた一般デモ隊員の中にはこれを声援してその傷害・公務執行妨害行為を幇助していたものもいた。被疑者西田宣治連隊長は、警察官に負傷者が出始めたためその身体の防護と学生らの公務執行妨害行為の抑止のため午後二時三七分頃から暴力行為中の学生らに催涙液を放射した。警察部隊の催涙液放射・放水により一時後退していた学生らは、その後散発的に阻止線の警察官に対して投石をしていたが、午後二時四〇分頃になつて約一〇〇名がジグザグデモをしながら激しい投石をして来た。以上のような状況のもとに、午後二時四三分頃に至り、「全国実行委」(社会党系)のデモ隊が、その広報車一台を先頭に佐世保橋東側から同橋を渡つて警察部隊阻止線の前面まで進出して来て同橋の北側半分位を占拠して阻止線の警察部隊に対し同所を通過させるよう要求して警察部隊と防石網をはさんで交渉が始まつた。この時同橋上の学生らは同橋の南側を占めて投石していた。なお、「全国実行委」の前示広報車から過激な学生らに対し「阻止線を通過するよう代表者を立てて交渉する、その間学生は投石するのを止めて下さい。」と呼びかけたところ学生らは一時投石を止めた。然し投石を止めたのも一時的で、学生らは右広報車の陰に隠れて散発的に角材による殴打、投石により警察部隊に攻撃を加えていた。

前示のような「全国実行委」のデモ隊の行動は、後述するように被疑者西田宣治連隊長が同デモ隊員に受傷者を出さないように顧慮したことから、その後の警察部隊の警備実施活動を著しく阻害すると共に警察官に多数の受傷者を出す結果となつた。前示のような状況の中で学生らは警察部隊が前示のような顧慮から直接規制同抑止行動をとり得ないでいるのに乗じ午後二時五五分頃から、阻止線の一部として配置されていた二台の警備車の屋上に先ず八名乃至九名が登つてこれらを占拠して旗を振りその後更に人数を増し約一五名となつた。これら警備車を占拠した学生らは、午後二時五八分頃から警備車の前方即ち東側から投石用の石・コンクリート破片等や・角材・竹竿等多数を車屋上に運び上げ、同車屋上からの警察部隊に対する攻撃を準備し、その間角材等で二台の警備車を叩きつけて、同車の外装設備を破損した。地上の学生らもこれに呼応し二台の警備車を角材・金物類等で叩いたり突いたりして破損した。又同学生らは警備車二台の内、南側の一台の前部のボンネツトをこじ開けて、そのラジエーター部分に新聞紙等の可燃物を多数強く押し込み、同車に対する放火の準備をする等していた。午後二時五八分頃から同車屋上にいた全員が力まかせにその眼下にいる阻止線上の警察官らに激しい投石を繰り返し、また地上の学生らも投石を加えてきたため同警察官らに負傷者が続出するようになつた。午後三時六分頃、同じく西田連隊に属する熊本部隊(隊長東文一以下二五三名)を同橋西詰阻止線に後方に第二線として増強した。警察部隊の広報班は「一般デモ隊員は橋上から退去して下さい。」「警備車の上に上げた石を捨てなさい。」「学生らしい態度を取りなさい。」「君達の行為は公務執行妨害罪になる。」「警備車の上にいる学生諸君石を投げてはいけない。」「君達の行為はカメラに記録されている。」「警備車の上の学生、君は何をしているのか、警備車を壊してはいけない。」「警備車より降りなさい。」「降りないと放水する。」「降りなさい、非常に危険です。」「君達がいつまでもそのような行為を続けるとやむを得ず放水する。」「すぐ降りなさい。」等と警告放送を続ける一方、警察部隊は阻止線で対峠しながら、飛来する学生らの投石を防石網及び大楯、小楯を前面と頭上に構えて、受傷しながらその惨めさに涙を流しつゝ防いでいた。午後三時一二分頃から同時二二分頃までの間、「全国実行委」の前示広報車から「西田連隊長出てこい。佐世保橋通行について話し合いたい。」との申し込みがあり、被疑者西田宣治連隊長は「全国実行委」の代表者と佐世保橋CPビル寄りの地点で話し合つた。同代表者が「警察署長が許可したコースをどうして通さないのか。」との旨の抗議をしたのに対して被疑者西田宣治連隊長は「全学連過激派は毎日角材を持ち投石して警察官に対し攻撃を加えているではないか。現実に目の前でこうして投石しており危険であるから早くこの橋の東側にコースを変更しなさい。」旨答えたところ同代表は「学生らは自分達が統制する、デモコース変更は警察の一方的措置ではないか、本部長に会わせろ。」との旨の抗議を続けたので、当時の現場等の状況から右要求を容認できないと判断した被疑者西田宣治連隊長はこれとの交渉を打ち切りその旨被疑者北折篤信本部長に報告した。その頃「中央実行委」(共産党系)デモ隊は佐世保橋東側国際通り路上において、前記交渉を見守つていたが、右「全国実行委」のデモ隊と別行動をとり、同橋東詰南の川端通りから玉屋横四ヶ町通りのコースを平穏に示威行進し同所を去つた。午後三時二三分頃「全国実行委」の代表者一五名は佐世保警察署に抗議に赴いたが、その間そのデモ隊は佐世保橋から国際通りにかけて停滞したままであつた。午後四時一五分頃、前記警備車の上の学生は各人角棒を所持するようになり、阻止線上の警察部隊に依然として投石を続け、又阻止線前方五メートル位のところで学生らが仲間争いを始め、相互に角棒で殴り合い、警備車上の学生の一部は下の学生らを竹竿で突くなどし、警察官の警告を無視して暴行を続け、双方に負傷者を出すに至つた。午後四時三〇分頃に至り、学生らは警備車屋上から阻止線上の警察部隊員に対し、レンガ大から卵大のコンクリート破片や車屋上に積上げられた角材等を投げつけ、角材で殴りつける等し、その後方の学生らはこれに投石用の石等を補給していた。そこで警察部隊は、投石禁止の警告をするとともに、警察部隊の防石車の前面に停車している「全国実行委」の広報車及び労組員デモ隊に対し「君達は学生の行動を黙認するのか、学生の投石を止めさせなさい。」と何回も警告をしたが右デモ隊員はこれを無視し警察の行動を非難して前面に立ち塞つたままであつたので、直接部隊を前進させて圧縮規制をすることができず、楯等による投石の防禦に懸命であつた。午後五時頃警察部隊は負傷者が続出するばかりであるうえ夕暮になつたので、通称CPビル屋上に備付けた投光器並びに投光車によつて学生デモ隊を照射したところ、警備車屋上の学生らは眼下の警察部隊に投石し、部隊員がひるむやなおもそれらを角材で殴打していたので、前同様の放水警告を発したのち、警備車屋上で投石等をしている学生らに対し、第九回目の放水を一〇数秒間行なつたところ、車上の学上は腰をかがめて放水を避け、放水が止むと再び車上に立ち上つて猛然と投石し警備車の下の学生らはこれに呼応して角材で警察部隊に殴りかかつた。これに対し警察部隊は警告後第一〇回目の放水を行なつた。その結果数名の学生は同車から降りたが大半の者は依然として車上に残つて投石を続けた。この警備車屋上からの投石は数一〇回にわたる「投石を止めよ。」「解散せよ。」「警備車からおりよ。」の警告放送にもかかわらず、午後五時四五分頃まで続けられた。警備車周辺の橋上で盛んに警察部隊に対し角棒を振つて激しく殴りかかつたりしている学生らに対しても、その後午後五時四二分頃放水が行われ計一一回の放水が行なわれたが、付近に一般労組員や群衆などが多勢いたためこれらの被害を顧慮して効果的な放水を実施することができず、学生らの警察部隊に対する投石や角棒等による殴打、攻撃は午後六時頃まで執拗に継続された。

(四) 学生ら約八〇名が午後五時三二分頃前示佐世保橋上の混乱に乗じて佐世保川下流約一〇〇メートルの地点から干潮の佐世保川を渡り、米国軍佐世保基地に侵入しようとして、うち二名が高さ約二メートルの金網を乗りこえて通称CPビル裏側の同基地に侵入したが、これらは間もなく逮捕され、その余の学生らは基地侵入を断念して、その場から引揚げ、佐世保橋上の学生集団に合流した。

(五) 午後六時九分頃佐世保橋上の一般労組員構成のデモ隊はジグザグデモを開始し、少しづつ同橋東詰の方に移動を始め、これに続いて学生らも移動をし、警備車上に最後まで残つていた学生二名も下車した。警察部隊は、右デモ隊に対し道路交通法違反であるから解散せよとの警告をしながら、長崎大隊が右デモ隊の後方から大楯班を前にして同橋東詰まで前進し、同所で阻止線を張つた。午後六時一五分頃には「全国実行委」のデモ隊も佐世保橋東側交差点でうず巻きデモをしながら松浦交差点方向に進行し、学生ら集団も右労組一般デモの後方から行進して同所を去つた。

(六) 同日前記状況のうち負傷した者は、警察官で投石により受傷した者一二三名・角材により受傷した者五二名・催涙ガスにより受傷した者一名・その他により受傷した者六名・受傷原因不明のもの三名、以上一八二名、学生らが、催涙ガスにより受傷した者一名・その他により受傷した者三名・受傷原因不明のもの二七名、以上計三一名、一般人(一般デモ隊員を含む)が警棒により受傷したと届出た者二名・投石により受傷した者一名・催涙ガスにより受傷した者二名・受傷原因不明の者二名、以上計七名、所属不明で警棒により受傷したと届出たもの一名・所属受傷原因共に不明のもの一名であつた。

なお、右各当日の状況を明かにするために各当日毎の現場見取図各一葉(略)並びに受傷者数原因一覧表一枚(略)を末尾に添付する。

二、証拠 (略)

第六、「いわゆる過剰警備発生」に対する判断

三派系全学連並びに革マル派全学連及びこれに同調する学生らが「エンタープライズ号」ら、米原子力艦隊の佐世保港寄港に抗議するため、佐世保市において、米国軍佐世保基地に実力をもつて侵入し、同基地内で抗議集会を開き同号らの寄港を阻止しようとし、同基地に向け示威行進をしながら前進したのに対し、被疑者北折篤信警備本部長を最高指揮官とし、被疑者小佐々繁連隊長・同西田宣治連隊長・同池村清市連隊長(以上の被疑者ら四名を「被疑者北折篤信本部長ら四名」と略称する。)を各現場の上級指揮官とする警察部隊が、いわゆる刑事特別法違反行為を防止するために同基地を警備の防護対象として、同月一七・一八・一九・二一の各当日に、佐世保橋西詰・平瀬橋西詰等に阻止線を設定して右示威行進を阻止したが、これを学生らが暴力行為をもつて突破しようとしたために学生らが警察部隊に衝突するに至つたこと、その際被疑者小佐々繁連隊長・同西田宣治連隊長らは、学生らの警察官に対する公務執行妨害行為の抑止と警察官の身体の防護のため、その指揮下の警察部隊をして催涙ガス・催涙液を使用せしめ、且つ検挙等のため警棒を使用せしめた。以上のことは、いずれも前示第五の一の1乃至4においてそれぞれ認定したとおりである。

そこで、前示「被疑者北折篤信本部長ら四名」が阻止線を設定した行為並びに催涙ガス・催涙液・警棒等を使用させた行為が、付審判請求人らが主張するように「被疑者北折篤信本部長ら四名」の権限を踰越した不法な行為であつたかどうかについて検討することとする。

1、阻止線の設定行為の適法性について

「被疑者北折篤信本部長ら四名」が、右三派系全学連の学生らを中心とした学生らの過激な行動を阻止するため設定した前示各阻止線の内容は、前示第五の一の1乃至4で各認定したとおりであつて、全面的に交通を遮断したのはいずれも過激な学生らが来襲する直前であつた。

ところで、警察官職務執行法第五条によれば、「警察官は、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のため関係者に必要な警告を発し、又、もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞があつて、急を要する場合においては、その行為を制止することができる。」旨規定されているが、本件において前掲第五の一の1乃至4に各認定した事実に、(証拠略)を合せ考えれば、(1)過激な学生集団の究極の目的が早くから「佐世保市を『第三の羽田』にしよう。」等とその意図を明確にしていて、既成の法律の枠内での反対運動を意味なきものと考え、予想される警察部隊の警備阻止線を多衆の暴力行為で突破して米国軍佐世保基地に侵入し、同基地内で「エンタープライズ号」らの佐世保港寄港反対の抗議集会を開くことにあつたこと。(2)学生らが角材を携帯し、投石用の石類を持ち、ヘルメツトをかぶり、覆面をするなどのいわゆる闘争スタイルであつたこと、又学生らは前示予定された警察部隊の阻止線に近づくまでに各種の行動をなしているがそれはいずれも学生らの前示(1)の意図を決行すると推定するに足るものであつたこと。(3)橋幅約一〇メートル、長さ四八メートルの平瀬橋・橋幅約一八メートル、長さ五一メートルの佐世保橋は米国軍佐世保基地の東側を北より南へ流れる川幅約五〇メートルの佐世保川に架設されているもので、いずれも同基地に接着する橋であり、いわばその喉元に当つていること、そして同基地の外周は佐世保川に接する部分を除いて約七〇〇メートルありそれらはいずこも道路に接していること、又平瀬橋・佐世保橋はいずれも市の中心街、繁華街から外れた場所にあることが各認められ、「被疑者北折篤信本部長ら四名」は前示学生らの意図からこれらの警備警察官に対する攻撃は避けられないものと考え、前示学生らを、阻止線を張り抑止規制する場合は、佐世保市民並びにその家屋・商店・その施設等に与える被害が最も少く又警備警察官が小人数ですむであろう場所として前示平瀬橋・佐世保橋を選定したことは当然であつたと考えられる。又、前示第五の一の1乃至4に各認定したところによれば、右学生らがいずれの場合も数一〇〇名の大集団となつて平瀬橋及び佐世保橋に来襲したときの各状況は、まさに本条にいう「犯罪が行われようとする」状況下にあつたものといわなければならない。なお、かような状況下にあつた平瀬橋又は佐世保橋をその頃通行しようとする市民、一般群衆が同条にいう「関係者」に該当することは勿論である。そして本件警備阻止線において一般「関係者」の交通を完全に遮断した時期は、いずれも右学生ら集団が平瀬橋並びに佐世保橋に殺到する直前であつたのであるから、正に犯罪が行われようとする頃交通を遮断したことは明らかである。このような場合警察官は、同条及び同法第四条「警察官は人の生命若しくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼす虞のある……、事変、……、極端な雑踏等危険な事態がある場合においては、その場に居合わせた者、……、その他関係者に必要な警告を発し、及び特に急を要する場合においては、危害を受ける虞のある者に対し、その場の危害を避けしめるために必要な限度でこれを引留め、若しくは避難させ、又その場に居合わせた者、……、に対し危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる。」により「関係者」に対し学生らの投石等によるその場の危害を避けしめるため警告し、引留めるため阻止線を張り交通を遮断したことは相当な措置であつたといわなければならない。

以上のように考えてくると本件各当日の各阻止線の設定は請求人らが主張するように「何ら理由がなく不法なものであつた。」とはいえず前記行政目的を達成し且つ具体的状況上己むを得ない適法且つ妥当な措置であつたというべきである。

2、催涙ガス・催涙液及び警棒使用の適法性

(一)  実力による制止行為の根拠

警察官が実力を行使して個人の行為を制止することは、個人の基本的人権、殊に人身の自由を物理的に制限するものであり、しかも犯罪の発生又はその進展の予防といつた行政目的からこれを行う場合には裁判官の令状も不必要であるから、警察官のかような行為が許されるのは、警察官職務執行法第五条後段に規定する条件を厳格に具備する場合でなければならないことはいうまでもない。ところで、前示第五の一の1乃至4に認定した事実によれば本件各当日の過激な学生らの行動はいずれも角材を携帯し、投石用の石・コンクリート塊を器物に入れたり、ポケツトに詰めたりして、各人が凶器として使用すべき物をそれぞれに持ち、警察官の数回にわたる適法な各種警告を無視して集団的に警備阻止線上の警察部隊警察官に対し、角材で殴る、投石をする等の行為を執拗に繰り返し、同警察官らの公務の執行を妨害し、且つ同警察官に右学生らの右暴行により多数の負傷者を出したことは明らかである。そして、これら過激な学生らの犯罪行為の進展を防止するため、これら学生らを制止・抑止することは「急を要する」ものであつたことも又多言を要しない。

以上のとおり本件各当日、本件警備警察官が警棒を制止のために使用した各具体的状況を証拠上みるとき、それぞれ同条後段の要件を充足した状況下に、且つ部隊の責任者の命令により部隊活動の一環として責任の所在を明確にしてこれを行使したことが認められ、本件警備警察官が右学生ら集団の行為を実力により制止したのは、同条後段の要件を充足した適法な己むを得ないものであつたといわなければならない。

(二)  催涙ガス・催涙液の使用の適法性

(1) 前示第五の一の1乃至4にそれぞれ認定した事実によれば本件各当日の各状況は、いずれも警察官がその実力を行使して、過激な学生らの暴力行為を制止・抑止しうる状況下にあつたものであるが、本件各当日の警備で使用された催涙ガス・催涙液が警察官職務執行法第七条にいう武器に該当するものならば更に同条の要件を充足しなければなお適法とはいい得ない。

(2) そこでまず催涙液についてみるに、(証拠略)を綜合すれば、本件警備で使用された催涙液は、主成分であるクロルアセトフエノン五%を四塩化エチレン九五%で溶解し、界面活性剤(商品名リパール)を用いて六〇倍に薄めたものであつて、この場合、クロルアセトフエノンの濃度は〇・〇八%であること、又使用された放水警備車は水をポンプで吸入し、ノズルから放水するもので、催涙液を放射するときは、催涙液をパイプで放水ノズルに連結し、コツクの開閉により“霧吹き”と同様の原理により放水圧力によつて生ずるノズル内の真空力で催涙液が吸い上げられ、機械的に六〇倍に薄められるようになつているものであること、右各警備車から実際に催涙液混入の放射がなされた間にこれら放水車に機械上の故障はなかつたこと、前記界面活性剤の作用により前記クロルアセトフエノン等原液が放射されて水と混合される際その濃度は均一化し濃淡が生ずる可能性は絶無であること、放水射手が催涙液混入の放射を行うときは学生集団の頭上を目標に放射して放水を霧状に拡散して被射体に振り掛るようにしていたこと等の事実を各認めることができる。

つぎに、催涙液放射自体の効能、特に人体の皮膚に炎症等を起させるいわゆる毒性を有するか否かにつき判断する。前示第五の一の1乃至4に各認定したように警察部隊が使用した催涙ガス・同液により負傷したと認められる者が警察官に合計四二名・学生に計三二名・一般人計二名、以上合計七六名いることが明らかであるから、これに(証拠略)を綜合すれば、警察部隊の使用する催涙ガス並びに催涙液は両者その作用は全く同じであること、それらは一次刺激の場合眼組織に対し血膜、瞬膜に軽度の血管拡張と浮腫を与える程度にすぎないし、又皮膚に対しては局所反応を起すことは皆無であること、なお、催涙液については、昭和三七年以降しばしば訓練等に際して警察官が自ら体験するなどの実験を重ね、その安全性を確認してきたこと、その折、後遺的な障害を残すことはなかつたこと。しかしながら催涙液を重畳的にある程度継続した状態で浴びるといつた二次的三次的四次的等の刺激が加わり又はそれに相当するような皮膚に擦り傷等があつたり又は皮膚を強くこするなどして弱めたり、あるいは長時間にわたつて催涙液使用の現場に立ち入つて激しい行動、例えば警察官の検挙活動や学生らの抵抗行動等を続けた場合は、その皮膚の部分に薬物による炎症を起すことがあることをそれぞれ認めることができる。そうだとすれば、催涙ガス・同液の使用は法第七条の武器の使用に準じてその使用の要件を検討するのが相当である。

(3) 「被疑者北折篤信本部長ら四名」は、本件警備の各当日において催涙ガスを使用したが、その各状況は、前示第五の一の1乃至4にそれぞれ認定した各事実のとおりであり、これらを抽象的に要約すると、次のようにいうことができる。

イ 警備警察官は、学生らにより米国軍基地侵入等の刑事特別法違反罪に該る行為がまさに行われようとするのを予防乃至制止する職務のため、同基地まじかの阻止線上に配置されていたこと。

ロ 学生らは、右警備警察官に対し、「右基地に侵入して抗議集会をする」目的を果たすため集団で激しい投石をし、角材等により殴打・突く等の暴行を加えて実力をもつて警備警察官を排除しその違法目的を完遂しようとしたこと。

ハ そのために警察官の右職務の執行は妨害され且つ投石等により警察官の受傷者が出ていたこと。

ニ 被疑者小佐々繁連隊長・同西田宣治連隊長は当時激しい投石・角材等による殴打により公務の執行を妨害するとともに警察官に傷害を与えている凶悪な行為をなす学生らに対し、その公務の執行に抵抗する行為を抑止するためと、警察官の身体の防護のため催涙ガス使用を決意し、催涙ガス使用につき、右学生らに警告放送すると共に一般人に対しても「催涙ガスを使用するから退避して下さい。」との警告放送をそれぞれ繰り返し行なつていること。

ホ 右警告を繰り返しても学生らの右凶悪な犯行は依然として続行され、且つ一般人も一部退去したのみで、大部分は退去しようとしなかつたため、各連隊長はこれらの者が警察部隊の右武器の使用をなした際受けるであろう傷害等をものともせず警察官の避難命令に従うべき義務があるのに避難しない旨の意思の固いこと、或はそこに滞留して、これらの学生らの行動と警察官の防備の様相を見聞し、或はこれに声援する意思の固いことを見極めたのち、公務執行の為には右手段による他ないとして己むを得ず催涙ガス・同液を使用したこと。

ヘ 被疑者小佐々繁連隊長・同西田宣治連隊長が使用する武器として拳銃を選ばず、催涙ガス・同液を選んだことはその事態に照らし相当であつたこと、又催涙液放射も一〇秒間放射して止め、続いて二〇秒乃至三〇秒間真水放水をなすという配慮をし、且つ学生らが後退し始めると催涙液放射を止めていた等、合理的に必要と判断される限度において催涙ガス・同液を使用していたこと。

ト 催涙ガス・同液を受けた学生らは、その時だけは退却したものの、これが止めば救護所等で洗顔をした後再び攻撃をしてくる等催涙ガス・同液の武器としての効能は最少限のものであつたと推認されること。

チ 右に述べた程度の効用を有する武器に代えて、違法且つ凶悪な暴力行為をなす学生らを鎮圧するため、直ちに警察部隊を接触させて警棒等を使用しいわゆる直接規制をなした場合必然的に生ずる学生ら・警察官ら・又は警告に応せず現場附近に残留した野次馬・報道関係者らの巻添えになつた者に生ずる受傷者の発生数、程度、範囲は催涙液等使用に比べて比較にならない程に多大になると推認されること、「被疑者北折篤信本部長ら四名」及び被疑者川島広守警察庁警備局長らがこれを早くから予測し、催涙ガス・同液を使用して学生らを抑止しようとした判断は、いわゆる第一次、第二次羽田事件の例を繰り返さないためにも相当であつたこと

をそれぞれ認めることができる。

そうだとすると「被疑者北折篤信本部長ら四名」の本件催涙ガス・同液の本件における各使用はいずれも警察官職務執行法第七条のすべての要件を具備した適法なものであつたといわなければならない。

第七、「警察官による直撃行為」等に対する判断

一、前示第一の一の1及び同2の(一)乃至(一〇)記載の被疑者北折篤信・同小佐々繁・同西田宣治・同池村清市に対する各被疑事実の判断

1、前示第一の一の1(過剰警備)の被疑事実につき

被疑者北折篤信・同小佐々繁・同西田宣治・同池村清市に対する前示第一の一の1(過剰警備)の被疑事実については、前示第六「いわゆる過剰警備発生に対する判断」の項の一、「阻止線の設定の適法性について」、並びに同二、「催涙ガス・催涙液及び警棒使用の適法性」の各欄において、詳細に認定したとおりであるから、ここにこれを引用することとする。そうだとすると、この点に関しては、「被疑者北折篤信・同小佐々繁・同西田宣治・同池村清市の実施した本件警備はいずれも適法であることとなるから「罪とならない」こととなる。

2、前示第一の一の2(警察官による直撃行為)の(一)乃至(一〇)の各被疑事実につき

被疑者北折篤信・同小佐々繁に対する前示第一の一の2の(一)乃至(七)の各被疑事実並びに被疑者北折篤信・同西田宣治に対する前示第一の一の2の(八)乃至(一〇)の各被疑事実については、右各被疑者らが、各被疑事実掲記の警備第一線の氏名不詳者・中西義明の各被疑者らと意思を通じて同被疑者らと共謀し、右各被疑事実掲記のような不法行為をしたという証拠はなく、かえつて被疑者北折篤信・同小佐々繁・同西田宣治らは、警備基本方針にも「負傷者を出さない」ことをかゝげ、警棒の使用についても上級指揮官の命令によりなす等第一線警備警察官が過激な学生らの凶悪な暴力行為により傷害等を受けて感情的になり、その学生らに対し行き過ぎた行為をしないようにと種々配慮していたことは、前示第四の三「警備を担当した警察官側の対策準備」の欄に詳細に認定した各事実によつて明らかであるから、かような配慮をした被疑者北折篤信・同小佐々繁・同西田宣治が前記氏名不詳の各被疑者らと意思を通じて共謀し、前示第一の一の2(警察官による直撃行為)の(一)乃至(一〇)記載の各被疑事実のような不法行為を犯すとは到底考えられないから、被疑者北折篤信・同小佐々繁に対する本件(一)乃至(七)・被疑者北折篤信・同西田宣治に対する同(八)乃至(一〇)の各被疑事実については、いずれも「嫌疑なし」といわなければならない。

二、(イ) 前示第一の一の2(警察官による直撃行為)(一)の被疑事実(被疑者ら不詳、受傷者杉直美)

(ロ) 同 (三)の被疑事実(被疑者ら不詳、受傷者岩垂弘)

(ハ) 同 (四)の被疑事実(被疑者ら、受傷者共に不詳)

(ニ) 同 (五)の被疑事実(被疑者ら、受傷者共に不詳)

(ホ) 同 (六)の被疑事実(被疑者ら、受傷者共に不詳)

(ヘ) 同 (七)の被疑事実(被疑者ら、受傷者共に不詳)

(ト) 同 (八)の被疑事実(被疑者不詳、受傷者田中末男)

(チ) 同 (九)の被疑事実(被疑者不詳、受傷者比嘉良則)

(リ) 同 (一〇)の被疑事実(被疑者ら不詳、受傷者松尾文夫)

に対する各判断。

被疑者不詳者らに対する前記(イ)乃至(リ)の各被疑事実は、被疑者らがいずれも本籍、住所、氏名、年令等が不明であつたところから、その被疑者特定につき、本件警備に出動した警察官らのうちその地帯付近にいたと考えられる者計三、五五六名、当裁判所に判明した学生・一般人等のうち、この関係を知ると思われる学生・一般人等計一二二名、本件付審判請求者五一名、以上合計三、七二九名に対し、裁判所に対する供述書照会に対する回答書等の各提出を求めたが、別紙裁判所に対する供述書提出者一覧表(略)記載のように、警察官らから提出を求めた分のうち三、五三二名から、学生・一般人らから提出を求めた分のうち二三名から、付審判請求者から回答書の提出を求めた分のうち四名から、以上計三、五五九名から、それぞれ「裁判所に対する供述書」「回答書」等の提出を受けて取調べるなどしたが、遂に右各被疑者らを特定することができなかつた。なお、前記各被疑事実が存在したかどうかについて按ずるに、前記(イ)、(ロ)、(チ)の各被疑事実については、各受傷者の供述が得られなかつたことそれに被疑者らがいずれも氏名不詳で取調べることができなかつたことからこれら被疑事実を認定することができなかつた、同(ハ)乃至(ホ)の各被疑事実については、被疑者小佐々繁は「(ハ)の被疑事実の写真一枚中、中央部分に警棒を右手に振り上げた被疑者警察官巡査がいるが、その傍に立つている防石面付ヘルメツトライナーに白線一本付の被疑者警察官巡査部長がその右腕で、前記被疑者警察官巡査の左肩を押えて制止しているようであるから、同被疑者がその下方に寝転んでいる学生を警棒で殴つたとは常識上到底考えられない。又同写真のその他の各被疑者警察官らもその各姿勢等で寝転んでいる右学生を警棒で殴打したとも断言できない。(ニ)の被疑事実記載の写真一枚中、中央に寝転び頭をかかえた学生を同写真中の各被疑者警察官が、その各姿勢等から殴打しているものとも考えられない。(ホ)の被疑事実記載の写真一枚中、被疑者警察官らのうちの一名が、右手で警棒を持ちその警棒の先端を寝転んでいる学生の左横腹付近にふれさせているけれども、ただそれだけで同被疑者警察官が寝転んでいる学生を殴打したとは次の理由により断言することはできない。即ち右被疑者警察官の警棒の同学生の身体に対する打込みが浅いこと、この写真に写し出されている他の被疑者警察官らの状況即ちその右側に中腰になつて同学生に何かを聞いているように見える被疑者警察官、又その右側に心配そうに立つて上体を前にしている被疑者警察官を合せ考えるとき、前記右手に警棒を持つた被疑者警察官は、学生の左横腹を警棒の先端で小突いて何かを聞いているふうにも見えて同被疑者が右学生を警棒で殴打しているとは到底考えることはできない。他の各被疑者警察官もこの写真一枚だけで右学生を警棒で殴打したと認めることは勿論できない。」と弁解して、この弁解に副う証人日田厚士・同菊川大典・同安藤栄治・同豊岡一昌・同吉田隆一・同岩下安雄・同芦田孝男・同菅田浩二に対する当裁判所の各尋問調書があること、又証人迫田勝に対する受命裁判官の尋問調書中の「私は剣道七段教士の資格を得ている。昭和四三年一月一七日午前一一時五〇分頃、当時小佐々連隊警備実施第四大隊に配属された宮崎県警察本部派遣の井野元中隊の第一小隊長であつたが、佐世保市平瀬町平瀬橋と平行してその南側川下に架設してある通称ジヨスコー引込線鉄橋の西詰付近に立つて同所を警備中、熊本県警察本部派遣の熊本隊が平瀬橋上で実施した過激な学生らの検挙活動を見ていたが、その際の学生らの行動は、警察官らの手等が触れたな・検挙されたなとみられる直前、いずれもの学生らが申し合せたように両手を頭の上にあげてこれを覆い、すぐにその場に寝転んだりうずくまつたりしていた。一方各新聞社のカメラマンは学生らが逮捕される決定的瞬間をとらえようと待ち構えていて、右現場を撮影していた。私はこの状況を見て、そのときこのような現場写真が新聞等に掲載されたらその読者らは寝転んだり、うずくまつたりした学生らを見て、『警察官らから殴打されたり踏みつけられたりして転がされ又はうずくまつたのだ』と思うだろうと思い、その学生らの演出は見事であると感心した。」旨の記載があり、これに副う証人日田厚士・同菊川大典に対する当裁判所の尋問調書もあること、なお、証人友広嘉久に対する当裁判所の尋問調書並びに同人の検察官に対する供述調書中「私は病院長をしているが、昭和四三年一月一九日私が病院で、いわゆるエンプラ事件の学生らの治療をしているときに、そこに女子学生らから両側を抱きかかえられるようにして数名の学生が連れられて来た。その学生らはいずれも頭部・顔面等から夥しい赤い血を流しているようで一見して重傷患者とみてとれたので、近づいてよく見ると、赤い血と見たのは赤チンキで、冠つていたヘルメツトを脱がせて見たらその内側に赤チンキを含ませた綿がはいつていた。」旨の記載があること、これに各被疑者警察官ら及び受傷者共に不詳で、同人らをいずれも取調べることができなかつたことを合せ考えるとその各被疑事実を存在するものとして俄に認めることができなかつた。

(ヘ)の被疑事実については、その被疑事実記載の『(別添日放労組員撮影にかかる写真中、普通警棒あるいは特別製竹刀型警棒を持つた×印の者)四名』の『日放労組員撮影にかかる写真』が、本件告発書に添付されなかつたところから同告発事件を担当した長崎地方検察庁検察官において告発人らに対し、その提出方を求めると共に「日放労組」に対してもその提出方を求めたが、そのいずれからも提出されていなかつた。当裁判所に対して本件付審判請求がなされ、その付審判請求書にも前記写真一枚を引用しているにもかかわらずこれに添付されていなかつたので、当裁判所は、付審判者全員五一名に対し、「同写真一枚を提出されたい旨、又は右写真一枚の所有者の氏名住所を教示されたい旨」等を照会したが、いずれの付審判請求者からも右写真一枚の提出はなく、又その所有者の住所氏名も知らせて貰えなかつたこと等から、結局その被疑事実を確かめることはできなかつた。

(ト)の被疑事実については、前示第五の二(証拠)の一月一八日関係掲記の各証拠に、古藤茂行・井上繁・森山猛の検察官に対する各供述調書を合せ考えると、「受傷者田中末男が三派系全学連の学生であつて、昭和四三年一月一八日ヘルメツトを着用し、覆面をするなどして前示第五の一の2(一月一八日佐世保橋付近の状況)の(三)記載で認定した事実のように同日午後二時四二分頃から約二時間にわたり佐世保橋上から同橋西詰の阻止線にいて公務執行中の警察部隊警官隊に対し、投石等をなしてその職務を妨害していたということで同所付近において公務執行妨害罪によりこれを現認していた警察官古藤茂行より現行犯として逮捕されたものであること、田中末男は、その逮捕される直前、佐世保橋上で学生ら数人と共に逃げ惑つて将棋倒しになるような格好で折り重なり前のめりに転倒したこと、そして田中末男は立ち上つて逃げようとしたところを同警察官に逮捕されたが、その際これを振り切り逃げようとして警察官に抵抗したこと、そこに警察官井上繁・同森山猛らが来て同古藤茂行に「どうした」と聞き、同警察官はこれに「投石学生だ。」と答えた後以上三名の警察官で田中末男を同所から約三〇メートル後方の警備車まで手錠なしで連行したこと、同人が逮捕された現場から右警備車までの間、同人の正面から駆け抜けざまに同人の局部を蹴り上げた者など全くなかつたことがそれぞれ認められ、これを覆えして本件被疑事実を認めるに足る証拠はなかつた。

(リ)の被疑事実については、前示第五の一の4(一月二一日佐世保橋付近の状況)の(三)の記載で認定した事実のように警察官らに対し投石等の暴行をなしている佐世保橋上の学生らに対し、これらを検挙しようとして同橋東側において福岡大隊の第一乃至第三中隊が阻止線を張つていたが午後二時一六分頃からこの阻止線を同大隊長らの制止を無視した一般労組員のデモ隊より突破された。その際同デモ隊に警察官が多数巻き込まれて多数の受傷者を出していること又同大隊の警察官らが右デモ隊から大楯四枚・警棒二本を奪われて、大楯四枚は二つ折りにして佐世保川に投棄され、警棒一本はへし折られて同所に捨てられていたこと、そのため同大隊は同阻止線を己むなく撤収したこと、他方そのころ、佐世保橋西詰の阻止線上にいた長崎大隊第一中隊は同阻止線より、同橋上の投石等を続けている学生らを前示福岡大隊と相呼応して同橋東詰に圧縮規制検挙するため、警棒を抜いて前進したが、右学生らの更に激しい投石等の攻撃を受けたため己むなく中途から同橋西詰の元の阻止線の位置まで退いたことの各事実があり、これに受傷者である松尾文夫・野口亨利の検察官に対する各供述調書を合せ考えるとき、氏名・住所等不詳の本件各被疑者ら一〇数名の供述を求めたうえで判断しなければ到底本件各被疑事実を確定することはできない。

以上のようなことから前示第一の一の2の(一)・(三)乃至(一〇)の各被疑事実の存否をいずれも確定することはできなかつた。

三、前示第一の一の2(警察官による直撃行為)の(二)の被疑事実(被疑者中西義明、受傷者中桐正百関係)に対する判断

受傷者中桐正百の検察官に対する供述調書によれば「私は昭和四三年一月一七日『エンタープライズ号』寄港阻止闘争に参加した折、平瀬橋付近において兇器準備集合罪の現行犯ということで逮捕されたが、その際逮捕した警察官から両手錠をかけられて付近の道路上にあつた有刺鉄線上を引きずられたためその際脚脛部に裂傷を負つたと思う。然しながら傷を負つていることを後になつて気付いたため、そこで受傷したかどうかは断言できない。」というのであるけれども、被疑者中西義明の受命裁判官に対する供述調書並びに同人の昭和四三年一二月一〇日付・同月一三日付(添付の写真五枚を含む)の検察官に対する各供述調書によれば、「私は中桐正百が供述するようにその罪名で現行犯逮捕したことはあるが、その逮捕の際両手錠をかけたこともなく、同人を引きずつたこともない。私が同人を逮捕し同所から北方へ約一五〇メートルの位置にあつた警備車まで連行し、同人を警備車に乗せる直前同人に両手錠をかけたのである。又同人を連行した道路上には有刺鉄線はなかつた。」旨弁解しこの弁解に副う証人芦田孝男・同菅田浩二・同浦川幸彦の受命裁判官に対する各尋問調書もあり、且つ前示被疑者中西義明の検察官に対する同月一三日付供述調書添付の写真五枚(いずれも被疑者中西義明が中桐正百を逮捕連行中の両名を撮影したもの。)によれば被疑者中西義明が中桐正百を逮捕しこれを警備車までの連行中同人に両手錠をかけていなかつたことを認めることができるから中桐正百の前示供述は措信し得ないこととなる。そうだとすれば、本件被疑事実につき被疑者中西義明には「犯罪の嫌疑なし」というべきである。

第八、「警察官による毒物放射」に対する判断

(イ)  前示第一の一の3(警察官による毒物放射)の(一)の被疑事実(被疑者北折篤信・同川島広守・一月一七日関係につき同小佐々繁・一月二一日関係につき同西田宣治、受傷者水谷保孝)

(ロ)  同 (二)の被疑事実(被疑者北折篤信・同小佐々繁・同川島広守、受傷者田中末男・同江藤靖夫)

(ハ)  同 (三)の被疑事実(被疑者北折篤信・同西田宣治・同川島広守、受傷者不詳)

(ニ)  同 (四)の被疑事実(被疑者前同、受傷者結城勉・同牧原正己)

に対する各判断。

(イ)、(ロ)の各被疑事実については、催涙ガス・催涙液の使用は、それが投石等を現に繰り返す学生らに向けられる限りにおいて適法であることはすでに前示第六の二の(2)(催涙ガス・催涙液使用の適法性の項に詳細に述べたとおりである。そこで案ずるに1の被疑事実の受傷者水谷保孝、(ロ)の被疑事実の受傷者田中末男・同江藤靖夫以上三名は、前示第五の一の1(一月一七日平瀬橋付近の状況)、同2(同月一八日佐世保橋付近の状況)、同4(同月二一日佐世保橋付近の状況)の各項のそれぞれ認定した事実に、受傷者水谷保孝関係につき、(証拠略)を、受傷者田中末男関係につき(証拠略)を、受傷者江藤靖夫関係につき(証拠略)をそれぞれ合せ考えれば、いずれも学生であつて、前示各被疑事実の各当日はそれぞれ前示の過激な行動をなした学生集団の各先頭部分に位置し、警察官に対し投石等をなして他の過激且つ凶悪な犯罪的行動をなしていた学生らと同一行動をとつていたこと、又右犯罪行為を続行中に催涙ガス・同液を受けたことをそれぞれ認めることができるから前に判断したように同人らの受傷の有無にかかわらず被疑者らのなした同人らに対する本件催涙ガス・催涙液の各使用はいずれも「罪とならない」ものといわなければならない。

(ハ)の被疑事実については、受傷者が不詳であつたところからこれらを確定するため前示第七の二の(イ)乃至(リ)の項に述べたと同じ方法で取調べたが遂に確定することができず、結局本被疑事実は嫌疑不充分である。

(ニ)の被疑事実については、さきに前示第五の一の4(一月二一日佐世保橋付近の状況)に認定した事実に受傷者である結城勉・同牧原正己の検察官に対する各供述調書を合せ考えると、受傷者ら両名は他の一般デモ隊員と共に、昭和四三年一月二一日午後二時過ぎ頃、被疑者西田宣治より「佐世保橋東詰から同橋上において傷害・公務執行妨害行為等をなしている学生らの後方を遮断してこれを検挙せよ。」との命を受けて、右学生らに対し、阻止線を張つていた福岡大隊の大隊長らから前進することを制止されたのにかゝわらず、多衆の力で突破して佐世保橋上に進出したこと、その頃佐世保橋上では過激派の学生らが青竹・角材等で警察官らを殴りつけており、又これに合せて激しい投石を続けていたこと、受傷者両名らはそれら犯罪行為中の学生らを左に見ながらその北側即ち佐世保橋の北側部分を駆け足で同橋西詰に向い進んだが、同橋中央付近まで進んだときに警察部隊の進出阻止の制止のための放水を受けてその隊列が乱れて我先にと同橋東詰まで退いたこと、その頃右学生らは依然として投石等を続けていたこと、それより以前から警察部隊より同所に居合せた一般労組員並びに一般群衆に対し「橋上は危険です、退去して下さい。」「放水しますから退去して下さい。」「催涙ガスを使用しますから退去して下さい。」等とスピーカーで警告放送を続けていたこと、受傷者両名は右警告を知つていたこと、受傷者両名は再び他の者らと共に四、五列縦隊のような隊形で、警察部隊より「危険であるから退去してくれ。」と警告されている前示橋上に強引に進出して同橋中央部分まで来た時、催涙液を受けたこと、その時刻は午後二時三七分頃であつて、その頃被疑者西田宣治は、前示第五の一の4(一月二一日の佐世保橋並びにその付近の状況)において認定した事実のような状況で催涙液を放射していること、受傷者両名の服装はいずれもヘルメツトをかぶり、受傷者結城勉がヤツケを着ており、受傷者牧原正己が防水製ジヤンパーを着ていて過激派の学生らと同一のものであつて、いわゆる闘争スタイルであつたこと、被疑者西田宣治は催涙液を放射したのは右午後二時三七分頃なしただけで、その後は使用しておらずいわゆる催涙液の一次刺戟的な使用をしたものであること、受傷者結城勉の傷害の程度が大きくなつたのは、同人が催涙液で汚染された衣服を長時間着用していた等の特異な事情によるものであつたこと、催涙液を受けた一般デモ隊員が多数いたのに受傷者は右両名のみであつたことをそれぞれ認めることができる。そうだとすると、受傷者両名のように被疑者西田宣治から同被疑者が警察官として前示のように学生らの傷害・公務執行妨害行為並びに警察官のこれらに対する抑止等の行為から一般群衆が受傷する等の危険があると判断してなした前記「一般群衆は危険であるから佐世保橋にきてはならない。」旨の警告を受けながらその警告を無視して同橋上に進出し、放水により制止を受けたのに拘わらず、無謀になおも隊伍を組み、同橋上の中央部分に出たため、当時前記学生らの暴行が激しく警察官に負傷者が続出している等のこともあつて已むを得ず受傷者らに対し警察官職務執行法第五条による制止として催涙液の放射をなさしめたものであると認められるから、被疑者西田宣治らの催涙液の放射は相当であつて、受傷者の有無に拘わらず適法であつたといわなければならない。そうだとすると被疑者北折篤信・同西田宣治・同川島広守の本件被疑事実は「罪とならない」ということとなる。

第九、結論

請求人らによる本件請求については

一、請求人水口宏三・同亀田得治・同井岡大治・同阿部国人・同矢動丸広・同斉藤浩二を除くその余の請求人四五名の本件各請求は、前に判断したようにその請求方式を具備していない請求として不適法である。

二、前示第一(本件請求被疑事実の要旨並びに請求の趣旨)の一の1の2の(三)の被疑事実(岩垂弘)については、前項記載の適法な請求人のうち、請求人水口宏三・同井岡大治・同阿部国人・同矢動丸広の各付審判請求は、刑事訴訟法第二六二条第二項に規定する期間をいずれも徒過してなされた請求であるから不適法である。

三、本件各被疑事実については

(1)  被疑者北折篤信・同小佐々繁・同西田宣治・同池村清市・同川島広守らに対する各被疑事実はいずれも前に判断したように警察官として適法な職務執行としてなされたものであるから、いずれも「罪とならない」ものというべきである。

(2)  被疑者中西義明に対する被疑事実は、前に判断したようにその嫌疑がないものといわなければならない。

(3)  その余の被疑者(警察官氏名不詳の者)らについては、各前に判断したように、各被疑者が氏名不詳であることから結局「犯罪の嫌疑不充分である」というべきである。

以上のように考えてくると、検察官が本件前示被疑者らを各不起訴処分に付したのは畢竟その結論において相当であるといわなければならない。そうだとすると、本件各被疑事実はいずれも審判に付することはできないことなるから、刑事訴訟法第二六六条第一号によりこれらを全て棄却しなければならないこととなる。

よつて主文のとおり決定する。

(別紙略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例